「あかちゃんポスト」

長女を保育所に送り届け、洗濯物を干す。つけっぱなしにしてあるTVの音に、ふと耳がとまる。画面には、朝ワイドショーが伝える「あかちゃんポスト完成」の報道映像が映っていた。
子どもを育てきれないと思った母親が、赤ちゃんをポストにいれる。すると、ポストの扉と連動した監視カメラとブザーが作動し、病院係員がポストに駆けつける。そして、赤ちゃんを抱っこし、あやす。人形を使った「ポスト」運用デモンストレーションの映像だ。
つい映像に見入ってしまう。そして、しばし考えてしまう。
放っておけば小さないのちが失われようとするときに、これも一つの有効な方法ではあるだろう。死ぬよりは、どんな経緯でも、赤ちゃんは、生きているほうがいい。でも、しかし…。
僕の手には、生後4ヶ月の次女の、洗ったばかりの木綿の肌着。寝室からは、きゃっきゃとはしゃぐ次女の声が聞こえてくる。ハンガーを持つ手が、思わず止まる。
TVには、看護士に抱きかかえられる赤ちゃんの人形の映像。それを見ながら、なんだか、涙が出そうになった。
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軍事費ではなく、福祉のために、金をつかえないものだろうか。パトリオットミサイルを自衛隊基地に配備するより、イージス艦を配備するより、「おもいやり予算」として米軍に多額の金を貢ぐより、若い母や父が子を持ち育てる喜びをたっぷりと味わえるような政策にこそお金と人材を割り当てられないものだろうか。
いま本当に必要な「自衛」策は、無理やりにしつらえた仮想敵国(いや、「妄想敵国」)から「集団的」につるんだ他国の軍隊を守ることなんかじゃなく、いま現実に様々な生活不安の悩み苦しみを抱えながらこのクニで生きる小さき人々を、心を込めて護ることではないのか。
(いま世の中を見ていると、現実の不安から目をそらさんが為に、あえて虚構の妄想的不安を煽り立てているように見えて仕方がない。)
僕は、憲法9条改悪(自衛軍の保持と、集団的自衛権行使にお墨付きを与えようとする目論見)を最大の目的として行われようとしている拙速な憲法改正に、大いに反対だ。だから、その「道備え」のために今度参議院で強行採決を行おうと与党が目指している国民投票法案(’欠陥’法案)の採決にも反対だ。