こども、教育、地域

今朝のNHKニュースより
【教員免許もつ官僚を教壇へ】
「文部科学省は、深刻化するいじめの問題や学力の低下など教育現場が抱える課題を的確につかみ、政策づくりなどに役立てるため、教員免許をもついわゆるキャリア官僚ら数人を、ことし4月から1年間、中学校に派遣し、教壇に立たせることになりました。」
(2月15日 6時57分)
公教育を管轄する役人に現場の姿を知らしめようとのことだろうが、こうした取り組みが度を越して行われるようになり、それにより職員室の硬直化が更に進むことにならぬよう切に願う。「管理」や「処理」といった役人的発想ばかりが学校の中に注ぎこまれぬよう願う。「組織のなかでいかに生き残るか」なんていうエリート処世論で学校が染め上げられてしまわぬよう、願う。
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ところで、地元芽室町に、地域と子育て(子育ち)というキーワードで何か行動を起こそうとしている有志の人々のネットワークがあります。
今年はせっかく芽室町で「北海道こどもの本のつどい」という大きなイベントがあるので、まずは「子どもの本」という切り口で町の教育環境を考えるような動きがゆるやかにでも起こせないかなと思い、こんど、その方々と懇親会を持つことにしました。
具体的には、7月末の「つどい」に先立ち、6月くらいに子どもの本の専門家を芽室に招いて講演会でもやりたいと個人的には願っています。じつは講師の候補ももう立ててあります。
役場・行政・官僚に頼るのではなく、自分達の手で地域を作り、教育をつくる。そんな動きを、ほんとにゆるやかでもいいので、作っていきたいな…。
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そういえば、僕が札幌にいたときに勤めた学習塾の塾長は、ニールの「自由学校」に自分の教育の理想を求めていた。ただ、大阪出身の在日韓国人である彼が幾多の差別の中で自らの生活を成立させてゆく為には、本人曰く「いまは、矛盾を感じながらでも、受験対策指導塾をやるしかないねん!」とのことだった。
でも、彼が塾経営のなかでやろうとしていた事は、切り口は「受験対策塾」であっても、それはどこかで、「地域」を作ることや、その核になる「人」を作る事だったように思えた。
彼は、毎年夏に塾主催で行う「夏のキャンプ」に並々ならぬ熱意を注いでいた。それは単に子どもを勉強漬けの日々から解放するためだけに催されるのではなく、そのキャンプ地周辺に住み、キャンプに携わってくれる種々の部外者(大人たち)の生き様を子ども達に見せることや、また、「教える・教えられる」という固定化された関係のなかで日々接している講師達の「生身の人間としての側面」を子ども達に見せることにも大きな目的を置いていたように思う。
日常の学習指導にしても、彼は、生徒個々の学力向上の向こうに「人格の成長」や「さまざまな”観”の確立」を見据えていた。塾を巣立った後でかならず向き合わねばならぬ「私はどう生きてゆくのか」という問いに、自らで答えの片鱗を見出す為の「底力」を育てようという意識を明確にもっていたように思う。
そして実際に、それはすこしずつ実を結びつつあるように僕には見えた。
彼の塾には、彼を慕ってか、それとも単に居心地がいいだけなのか、いまや大学生や成人となった何人もの卒塾生たちが「帰って」くる。そして、教材の準備を手伝ったり、キャンプの計画を練ったり、ついには自分の専攻科目を活かした補助講師として手助けをしたりと、塾とかかわりをもち続けていた。
彼らのうちの多くは、就職とともにそれぞれの活動の場へと再度巣立ってゆくのだが、中には、専従の有給職員として塾で働きはじめる卒塾生も何人もいる。
民間の中小規模の受験対策・学習指導塾が、子どもの成長の確かさを目の当たりにできる場となり、子どもにとってはある意味で「自己実現」の場としても機能している。ここでは確かに「人」が育っており、それゆえに、塾という「場」も日々成長している。
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たとえほんとうに小さな人々の集まりであっても、心通う教育の現場を創出する事はできるのではないか。行政に頼り切って自分の子どもたちの教育を云々する時代は、いままさに終焉を迎えようとしているように感じる。