もろもろ

■一昨日の北海道新聞十勝版に、記者の署名記事で読み応えのある意見記事が掲載された。
■先ごろ新聞を賑わせた、今年度の我が町の芽室小学校の入学式における君が代不起立の”問題”に関しての記事だ。
■記者は、芽室町教育長が町内各小学校長宛てに「教員による児童への君が代斉唱の指導徹底」を求める文書を送ったことを、「斉唱の強制につながらないだろうか?」と問題視し、こう言い切る。
「児童、生徒の「内心の自由」は国会答弁を待つまでもなく、憲法で保障されている」
「どのような理由で着席したにせよ、児童、生徒の自由を奪ってはいけない」
■北海道新聞にはまだ、”支配され(ようとす)る側に立って思考する”、そして”権力の側に立つこと(長いものに巻かれること)を拒む”というジャーナリズムの原則がしっかりいきづいているようだ。
■しかし、こうした記事を署名記事として書くと、なにかと面倒くさいことが多々あるだろうな…と心配になる。
■世には、例えば「子どもの自由を守れというなら、子どもが殺人を犯す”自由”も守れとでもいうのか?」とか「お上の命令に従わないくせに公務員給与をもらっているような偏向教師は全員クビにしろ!」というような発想や物言いをするひとたちもたくさんいるのだ。うーん。
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■ガソリン狂想曲。下がるときも、上がるときも。
■確かに、高騰を続ける燃料代が上がり下がりすることは、大きな関心事にはなり得よう。また、商売や生活と燃料高騰が直結している人には、ただならぬ問題だろう。
■もちろん「日本の政治は、ちゃんと機能しているのだろうか?」ということを考える格好の題材にもなろう。
■でも、メディアを通じてタレ流されてくる「ガソリン値上げ。さあ、一大事!」という調子の「狂想曲」は、なにか胡散臭く感じられて仕方がない。
■何でかなぁ…と考えてみれば、そもそも、原油の高騰そのものが、”サブプライム云々”に通底する「金融狂想曲」のタコ踊りのなれの果てだからなのかもしれない。
■踊らせようとする人がいる。で、踊らされている事を承知で、じつに上手に踊る人もいる。それはそれで、ある意味、メデタイことだ。
■でもその一方で、必死に曲にあわせて踊ろうとするも、上手に踊れない人、踊らせてもらえない人、足を踏まれてしまう人、挙句は身包み剥がれてダンスホールから永久退場を命ぜられてしまう人も、たくさんいる。
■そもそも”狂想曲”が聴こえてきた時点で、「いいえ、結構。わたしは踊りません」という姿勢を持つこと、さらには「狂想曲には耳を貸しません。自分の音楽は自分で奏でます」という姿勢が、じつはいま、とても大事かもしれないなぁと思う。
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■いま、あるメーカーの最新カメラのデモ機を借りている。格段の性能アップに、ついヨダレが出てしまう。通帳の預金残高は今いくらあっただろうか…
■しかし、これもある種の”狂想曲”か。
■「本当にこれが必要か?」「何のために、必要か?」、そして「そもそも、これで、オマエは一体何をしたいのか?」。自分に問いかけ、じっと考える。
■自分の欲求・欲望が激しく動くときこそ、自分を見つめる契機でもある。
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■一昨日の祝日は、長女と散歩&ドライブ。
■お気に入りの公園でひとしきりあそんだあと、車を走らせ、十勝川の河原へ。
■何か特別に魅力的なものがあるわけでもない。川が流れていて、柳がぽつぽつと生えていて、河原に石が転がっている。それだけ。あたりには誰もいない。
■最初は石を水面になげて「水切り」遊び。まだ長女は横手投げすら満足に出来ないので、どう頑張っても「どぼん」でオシマイ。おとーちゃんのようにピョンピョンピョンとはいかない。でも、なんだか楽しそうだ。
■その後は、大きな石と石の間に小石をがつんと挟んで、「石割り」。
■青い石、赤い石、黒い石、黄色味がかった石、白い石、二つの色が混ざった石。そして、もろい石、硬い石、割ると不思議な紋様が現れる石。石にもいろんな石があるものだ。
■包丁のように薄く鋭利に割れた石があった。近くに生えていた雑草を、その急ごしらえの”石器”で切ってみた。「うわ、切れるね!」。長女の目が輝いた。
■ふむ、きっと、これでいいのだな。なんともすてきなゴールデンウイーク初日だった。