オリンピック

えーい、書いちゃおう。

オリンピックが東京で行われると、なにやらニッポンが元気になるとのことなようで、そしてそれは、まあ結構なことなのですが、でも、ニッポンにいる“だれ”を“いつ”元気にしたいのかな、と思う。

例えば7年後完成予定で競技場を新築/改修するお金があったら、平屋2DK、いや1Kでもいいから、新築の「恒久住宅」を、半年後にでも、岩手宮城福島にいっぱい建てられるよなぁ、と思う。I市のM小学校の被災したプールを新しくして、来年の夏、子どもたちに気持ちよく水泳してもらえるよなぁ、と思う。

ただ、地震津波被災・原発被災の痛手については、そういう「箱もの」が解決できる問題ばかりではないことは、北海道にいてもなんとなく分かる。だから、「箱もの」「インフラ」じゃなくてもいい。生活と生きがいのほとんどを津波で流されたり、原発事故で故郷や暮らしを奪われた人たちの気持ちと身体を、この先10〜20年くらい(今よりは少しでも)元気づけられるだけの何らかのことができるよなぁ…と思う。

そういう単純なことではないのだろうか…。

7年後の夏、アスリートたちのがんばる姿が、「だからみんなもがんばろう!」というキーワードとともに、ニッポンのたくさんの人たちに一時の「高揚感」をあたえてはくれるのだろうけど、僕は、できればその替わりに、来月、いや来週、いや明日にでも、女川や石巻、陸前高田、南相馬で僕が出会ったあのおばちゃんや子どもたちに対して、「できるだけ永く続く励まし」を与えられないものだろうかと思ってしまう。

書いた。以上。



追記。

ニュース映像で、マドリードの市民が「オリンピックはトーキョーで!」と書いたプラカードをもってスペインでデモンストレーションしていた。その市民曰く「オリンピックなどは東京でやってくれ。浮いたお金を、困窮するマドリード市民の為に使え!」と言っていた。

もし同じことを僕らが日本でやったら(「オリンピックはマドリードで/イスタンブールで!」)、だれもが「どーぞ、どーぞ!」と譲り合って、「おお、これはダチョウ倶楽部じゃないか!」と、ひとり笑ってしまった。オリンピックを取り巻くある種の滑稽さは、すでにそういう「お笑い」レベルなのかもしれない。

(もちろん、競技者・競技関係者にとってのオリンピックの意義はこれとは全く質のことなることであるのはいうまでもない。競技者諸氏の気分を害したら申し訳ない。)