オルタナティブ

■ここ最近身の回りで起こる出来事、関心事については「選択肢」ということばがついてまわる。
■近々の我が町での出来事のうち、ひとつ例をあげるとすれば、「立つか・座るか/歌うか・歌わないか」。
■これに限らず、選択肢をきちんと用意しておく事、それを選択する自由を妨げられない事の重要さを、最近特に感じている。それは、自分自身の生活そのもののあり方についても言えることだが。
■「主流や多数派、または既成事実がすなわち”正”である」という幻想の誘惑から、いかに意識的に遠ざかれるかが、とても大切だと思えるのだ。
■この幻想の誘引力は、恐ろしく手強い。意識して地に脚をつけて立っていないと、すぐに吸い込まれてしまう。気をつけないと。
■さらに言えば、主流ではない「もう一つの道」=オルタナティブを、いかにして自らの手で、または他者との信頼関係のもとに、具体的なものとして作り出していけるかどうかも、肝要だ。
■じつは、ある意味では、それを実践したいからこそ、僕は”写真家”などという肩書きを自らに付加させて生きているのかもしれない。
■ま、自分の”写真”云々はさて置いても、オルタナティブと、それを尊重し育もうという余裕があまりにもなさ過ぎるように思われる昨今の身の回りの出来事をみるにつけ、僕はつくづくそんなことを感じてしまうのだった。
■そうそう、12日行われたドキュメンタリ映画「空想の森」の札幌上映会が好評のうちに終わったようだ。よかった。ここからどんどん広がっていくといいな。
■じつは僕は、この映画、また、監督を務めた田代陽子を、実に筋の通ったオルタナティブ体現物/具現者だと思っている。未見の方は、ぜひどこかで観てください。
4月20日(日) 東京・文京シビックホール
7月26日から 東京・ポレポレ東中野