サミットに思う。

■今朝のNHKニュースを流し見していたら、洞爺湖サミットのこと。霧が多くて大変そうだと、警察など関係当局が今から現地の状況調査を始めているという。
■なぜ霧が多くて大変か。各国首脳を乗せたヘリが運行しにくいということもあるらしいのだが、それよりも懸念されているのは、「不審者」対策の観点からなのだと。霧に紛れて怪しい輩が会議を妨害しては困る、ということだ。
■ところで、今、国際政治の話題で「不審者」「不穏な動き」というとき、すでにそこには「テロリスト」「テロ」という意味も自動的に内包される時代になってしまった。
■理解不能な異国人や異人のすることはなんでもかんでも「テロ行為」と結び付け、正当・正義への許されざる脅威として排斥する風潮が、すっかり出来上がってしまったように思う。ほんとに困ったもんだ。
■きっとサミットにおいては、警察や公安など警備当局の頭の中ではすでに、「不審者」=「テロリスト」の図式がそうとうカッチリとできあがっているに違いないだろう。
■僕はここで不安になる。サミットにおける「デモ行為」のことだ。今の情勢や社会意識の中では、下手をすると正当なデモ行動でさえも「テロ行為」と結び付けられてしまう恐れがある。
■いうまでもなく「デモ」は「デモンストレーション=(意思)表示」の行為であって、日本においてはちゃんと「表現の自由」「行動の自由」として認められた基本的人権の発露だ。
■確かに、もしそれが極端にエスカレートして、対する当事者の意思判断に「恐怖=terror=テロ」を植え付けるものならば、広い意味での「テロ」と言えなくも無い(無理やり解釈をすれば…)。けれど、いまの世の社会意識に植え付けられてしまった血生臭い「テロリズム」的意味合いとは、デモ行為は明らかに分けて考えられなければならない。
■サミットにはデモが付きものだ。なぜか。それは概ね「何で金持ち・権力持ちのたった8カ国だけで勝手に世界のあれこれを決めちまうのよ?」という、極めて単純で的を射た発想に根をもっている。
■イタリアのジェノバサミットでも、この間のドイツのなんたらカンタラという町(ついこの間のことなのにその町の名前が思い出せない。「サミットをやれば洞爺の名が世界に知れ渡る」って、ほんとかなぁ…)で行われたサミットでも、会場の周りに押しかけた若者たちが、大国の論理に偏った「グローバリズム」に反対するプラカードを掲げ、盛んに意思表示をしていた。
■僕などはそれを見て「お、いいぞいいぞ」と思うのだが、どうも日本のマスコミなどを通じて与えられる彼らのデモ行為の印象は、全体的に「国際協調を妨害する困った奴らの困った行為」というトーンを帯びているように思う。
■現に、最近のサミット開催国の警備当局は、会議場を町ごと防護フェンスで囲い尽くし(まるで、イスラエルがパレスチナのアラブ人を締め出そうと築いた分断壁のように…)、また、デモ団体に向かって放水車で高圧水をぶっ掛けたりしている。徹底した邪魔者扱い、徹底した「排斥」思考だ。
■さて、今の日本の社会意識下で、サミット会場近くでデモを行ったら、どうなるだろう。警察や公安どころか、一般市民までが「霧に紛れてテロリストが不穏な動きをしてる。排斥、排斥!」なんて大合唱にならないだろうか。不安になる。
■それよりも僕は、洞爺の深い霧の向こう側で、本当は一体何が話し合われているのかに注意をしたいと思う。「環境問題が主題だ」などと言うけれど、ほんとのところはどうなのか。
■たった8カ国の、しかも権力のトップに上り詰めた特異な出自の人間達が、お山のてっぺん(=サミット)に立つ要塞「ウインザー城」にこもって、この広くて深い世界の何を語るのか。60億の深みを湛えたこの世界の、何を。
■「霧に包まれたお蔭で、下々の世界の事は全然気にならず、話題にすら上りませんでしたよ。全く、’美しいサミット’でした。」なんてことを開催国首脳が得々として語る。そんなことで終わってしまわぬよう、願う。