ワシ/クマ/空

■撮影で、森に来ている。
■いつも歩く小さな沢沿いを散策。重いクラスト状の雪はまだ30センチ以上の深さがあり、歩きにくい。
■細い沢の中ほどに、流れに下半分を洗われるようにして、オジロワシの死骸が横たわっていた。遺骸がまだキツネなどに喰い荒らされていないところをみると、まだ死んで間もないのだろうか。
■黄色く太いくちばしに、鋭くとがった爪。普段は間近に見ることのできない猛禽の最も猛禽たる部分を、すごいものだなぁ…と、まじまじと観させてもらう。
■ところで、いつもならこのあたりにはクマの足跡がペタペタとそこここに残されているはずなのだけれど、今日目にしたのはわずか1頭分のみだった。
■これだけ雪解けが進んだ頃だ。このあたりのクマたちはみな目を覚ましている頃だろう。なんでこんなに足跡がすくないのか…。
■しばらく歩いてくたびれたので、雪原に腰を下ろして休憩。
■目の前のアカエゾマツを見ながら、ふと考える。この一本のアカエゾマツの「表面積」はどれくらいになるのかなぁ――。
■”肺”という機関が肺胞という非常に細かな無数の小胞の集まりで成っていて、その肺胞一つ一つを開きそれぞれの面積を丁寧にトレースしてゆくと、その総面積はじつに60~70平方メートルにもなるらしい…ということを生物の時間に習った。
■アカエゾマツの枝にびっしりと張り付くように生えている細かな針葉を見ているうちに、そんなことを思い出したのだ。
■アカエゾマツなど針葉樹は、肺と同じく、細かな単位面積の小葉を無数に生やすことで凹凸を増やし、日の光を浴びる総体表面積を増やす工夫をしている。きっと目の前のアカエゾマツも、その表面積たるや、僕の想像を絶するほど広いのだろうな…。
■そして、思考は一気にへんな方向へ飛躍する。
■例えば、この日本の国土の総周囲長、つまり海岸線の総延長距離ってのは、どれくらいの長さになるのだろう?
■適当な日本地図を広げて海岸線を丁寧にトレースしてゆけば、大まかな数字は出るだろう。でも、当たり前だけれど、それは全く本当の数字ではない。
■津々浦々の、複雑に入り組んだ入り江の、突き出た岩々の、そのでこぼことした表面の微細な凹凸までもを、どこまでもどこまでも顕微鏡レベルまで細かにトレースして行くならば、じつは、その長さは無限に等しい数字になるに違いない――。
(そもそも海岸線なんてものは常に不定なのだから、正確な総周囲長を測ろうとすること自体がナンセンスだけれど…)。
■ものはついでだ、と、さらにさらに考えを遠くへ飛ばしてみる。
■では、その陸と海との境界をなす岩なら岩の微細な”表面”を、分子レベルまで掘り下げていったらどうだろう。
■じつは、分子レベル、そしてそれをさらに分解した原子・電子レベルまで行くと、それぞれの粒子は粒子間の力で互いに距離を取り合いながらただ「寄り添っている」だけであって、互いに接してなどいない。ぷわぷわと浮いた状態で、規則的に整列しているだけだ。
■つまり、連続していないのだから、連続したものとしての”長さ”など、計りようがない。そこではそもそも”境界”というもの自体が消失してしまう。
■つまり、実態は「浮いている」、言い換えれば「空である」、としかいいようが無い。
■長さをたどっていったとき、無限大の先にあるものは、空だった。
■なるほど。なにがなんでも物事に境界を定め、それを数値化してやろうなどという行いは、まさに「空しい」行いなのかもしれない。空の空、一切は空。そして、色即是空。なるほどな。
■大事なのは、その”境界”なるものを越えたところにあるもの。そして、ついつい境界を求めようとする心の底に横たわっているものへの自覚。そういうことなんだろうな…。
■…と、ここまで飛躍を進めて、はたと、馬鹿なことばかり考えているいる自分の「空しさ」を改めて思う。
■アホなことに時間を費やさず、ちゃんと写真を撮ろう、と思い直したのだった。