三年前と同じことで悩む

■今日は蘭越中学校でスライド上映講演会。
■この寒い日、体育館で、どこの馬の骨とも知らぬおじさんのことばに静かに耳を傾けてくれ、写真を見続けてくれた中学生たちに、心から感謝。
■どうぞどうぞ、この蘭越の豊かな自然風土とこれからもたっぷり向き合って下さい。ありがとう。
■講演を終え、いま宿でパソコンに向かっている。
■そして、ずうっと、新刊写真絵本のあるページのテキストのことでウンウンと悩んでいる。
■ことばは”研ぐこと”が大事。
■しかし、もしやいま研いでいるものは、いわゆる「諸刃の剣」なのではないか…。
■切らなくてはよいことがらにまで変なふうに切り込んでしまうのではないか…。
■刃の付け方を間違っていやしないだろうか…。
■その懸念がずっと続いている。
■そもそも、僕にはなまくらの凡刀しか作れやしないことは自分が一番よく分かっている。
■しかし、それでもなお、作るからには、作る価値ありと自ら思い決めたからには、鍛えて研いで、研がねばならない。
■しかし、うーん、むずかしい…。
■xxxxxxマシーンごときのことでつまらないグチをこぼしている暇はないだろう(自戒)。
■2008年9月のこの「不定期日記」にも書いた、画家/絵本作家・瀬川康男のことばを、以下に。
■いま僕が抱えている思いとは少し異なるが、しかし、この瀬川氏のことばが示す意味を、今一度思い返している。
「こんな絵でよいのか
 こんな文章でよいのか
 子供達を軽くあつかってよいのか
 悲しみをおしえなくてよいのか
 死の闇をしらせなくてよいのか
 日暮れてからの道の遠さは
 骨身にしみる」
         瀬川康男
追記:
今日の講演の様子を思い出しながら、ふと思った。
もし泊原子力発電所で東電福島原発のような事故が起ったら、きょう向き合った蘭越の178名の中学生たちは、いったいどうなるのだろう。
蘭越中学校は泊原発から真南に約19km。
彼らは、どこに住み、何を食べ、何を思いながら生きることになるのだろう。どれほどの貴いものが彼らから奪われ、同時に、どれほど残酷なものを彼らが背負わされるのか。
「絶対に安全です」の連呼が嘘の塗り固めだと分かってしまった今、そして、その歪な塗り壁がじつに悲惨な有様で完全に瓦解するのを目の当たりにした今、何をすべきだろう。
蘭越の中学生たちが背負わされている現実的問題が、今日、ごくほんの僅かだが、まぎれもなく僕自身に関わることとなった。
そういう意味で、今回の講演は、僕自身にとってとても良い機会であったと思う。こうした機会がなければ”我がこと”とできぬ自分の鈍な想像力を恥じながら…。
僕は以下の裁判運動に原告として参加しています。
「泊原発の廃炉をめざす会」
原告の募集は締め切られていますが、賛同する方はまだまだ募っています。ぜひあなたもご一緒に。