人を大事にできる人

■昨夜まで撮影に出かけて留守にしていたので、今日の午前中はあちこちへメール連絡のまとめうち。
■いつものことだけれど、ちょっとした雑談程度のメールにどうしてか必要以上の字数を費やしてしまう。こまったクセで…。
■午後になり帯広へ。今日、深川市から友人Kさんが用事で帯広へくることになっていて、会おう!ということに。
■彼女は、本業はレストランのオーナーシェフなのだけれど、それ以外に、じつにユニークかつ多様な活動を展開するバイタリティあふれる女性。知人である児童文学作家の朗読会を彼女が企画したことがきっかけとなり、去年、人づてに知り合った。
■15時にKさんの宿泊先のホテルで待ち合わせ、そのまま車で市内の印刷会社Sへ。
■Kさんは先日、この会社が出版する某雑誌の人物紹介記事でその活動を大きく取り上げられたばかり。で、「せっかく帯広にいくのだから是非編集部を訪ねたい!」とのことだったので、ついでに僕も一緒についていくことに。(じつは僕もまたこの雑誌に号違いで取り上げてもらったことがあるので、そのお礼のご挨拶も兼ねて)
■S社に着き、編集長Mさん、S社社長と談笑するKさん。Kさんのこれまで様々な取り組みの報告と、今後の”野望”が語られる。
■その話を聞けば聞くほどに、僕はこのKさんという女性の類稀なる特質につくづく感心してしまう。
■とにかく彼女、様々な場面や出来事のなかで生じた”人とのつながり”というものをとことん大事にできるひとなのだ。
■地域の人のつながり、友人や知人とのつながりを、こころの底から、利害関係など抜きにして大切に大切にしていることが、ことばの端々から感じられる。それも、相手がどんな立場の人であろうと、どんなかかわり方をしている人であっても、その相手への飾らぬ尊敬の念を忘れない。かといって、彼女自身が卑屈に小さくなることはない。
■自然体。そして、いい意味での「無邪気さ」、つまり邪気の無さ。それをここまで他者との関係のなかで快く保てる人物はそういないように思う。
■それだからだろう、彼女が行動を起こすときには、そこにどんどん人が吸い寄せられ、繋がってゆく。そして、その人たちとの出会いを彼女はまたしても大切にする。
■うーん、やはり凄い人だ。
■それに引きかえ…何事にも理屈ばかりこねて、ちいともハートのこもらぬ、卑屈癖の染み込んだ我が身を振り返り、僕は小さくなる。
■僕は、特に”他者との関わり”においては、昔からずっと自分自身の中にネジレたものを抱えつづけてきた。
■北海道に来てからだいぶそのネジレがほぐれてきてようにも感じるのだけど、しかしこうしてKさんのような人が放つ”真っ直ぐな光”に照らしてみると、そこにはやはりかなりイビツな影が浮かび上がってくる…。
■他者と自分を比較して自分に無いものをやみくもに羨んでも仕方が無いことはわかっているし、そもそも、人はそれぞれ十人十色の凹凸を抱えてながら生きていることも、わかる。全き珠の如き完全無欠な人物などがその辺にごろごろ居たら、逆にキモチワルイではないか。
(そして、結構肝心なことかもしれないが、様々な側面での人格的ネジレとイビツをもっている人間だからからこそ僕は”写真”なんぞを撮っているのだろうな、とも思う。そのネジレが中途半端な故に”写真が突き抜けない”という悲しい事実も一方にあるけれど…)
■しかし、自己卑下の無意味・無価値はわかりつつも、今日はやはり、僕は小さくなる。せっかく素敵なKさんに久しぶりに会ったのに、こんな後ろ向き日記を書いたりする。
■こんな気持ちになるのも、冬だからかなぁ…。冬って、だいたい毎年こんな”後ろ向き”体質になるんだよなぁ…。窓の外ではまだしんしんと、十勝らしからぬベタ雪が舞い落ちている。