今年の漢字は「茶」で決定。

年末恒例「今年を漢字一字であらわすと?」は、「茶」に決まり。
加藤茶の「茶」。
放射能汚染茶葉の「茶」。
いや、何よりも、
津々浦々で日々延々繰り広げられる、脂っこいオジさんたちによる茶番劇の「茶」。
ああ、胸焼けに耐えかねて溜飲を下げようと茶を飲めば、喉元過ぎて大ヤケド。
なおさら煮えくり返る腑(はらわた)は、ついにメルトスルー。
「北電 やらせ認める」。道新27日朝刊。
情けないけど、さもありなん。
そりゃ、やるだろう、と思う。別に驚きはしない。
しかし、ほんと、もうヤメにして欲しい。
茶番劇の至高の決め台詞、「誠に遺憾であります」で
チョーンと幕を引いてしまうのは。
「頑張ろう、ニッポン!」のかけ声の裏で、
隣国の政治体制や社会のあり方をバカにする言動を目にすることがこの頃ことさらに多い気がするが、
他人のこと笑ってられるか。
いま本当に民主化が立ち後れ、
政治の無策・堕落や社会構造のひずみのために市井の人びとの暮しがとことんまで軽視され蹂躙されているのは、
いったいどこのクニだろう。
観衆無視の「笑えない喜劇」が演じられているのは、いったいどこなのか。
66年前、激しい痛みのなかで折角「民主」の社会を獲得するチャンスがあったのに、
それをみすみす棒に振り、
本当に責任を追うべき人間を、「(元)神様だから…」と不問に付し、
以来、そうした「無責任体質」を疑いも無く温存・活用してきてしまった
非民主主義(否民主主義、いや、避民主主義か)のクニは、社会は、
いったいどこか。
66年前の茶番は形を変えながら、
しかし、その核心部分は固く堅く周到に守られたまま、
いまもずっと続いている。
この「森の写真館」の日記に、こんなこと書きたか無い。
もっと森の清涼感を感じさせる事柄や、
何気ない日々の幸せをここに書き記したい。
「嬉しかった」「楽しかった」「美味しかった」「きれいだった」「不思議だった」「感動した」、
そんなことだけ書いていたい。
しかし、そうも言っていられない。
そうも言ってられないだろう。