伊藤健次

■僕の好きな写真家の一人に、北海道在住の伊藤健次さんがいます。北方圏の自然や文化を中心に撮影を続ける写真家です。
■歳は僕の3つ上。僕と伊藤さんとは、写真を離れたところでも共通の知人が多く、時折連絡を取り合う友人でもあります。しかし同時に、伊藤さんは、常に僕の遥か先を歩み続ける、僕の尊敬すべき先輩です。
■今日7日の北海道新聞に折り込まれた別刷り(北海道新聞広告特集「めざそう!エコアイランド北海道」)に、数人の自然写真家と共に、伊藤さんの写真作品とコラムが大きく掲載されていました。
■そこに書かれた文章を読んで、僕は改めて伊藤健次という人の眼差し向け方に共感を覚えると共に、彼の表現者としての力に感銘をうけました。
■洞爺湖G8サミットの開会日に合わせて発行されたこの「地球にやさしい・エコプロジェクト」なる企画別刷りのなかで、他の登場論者・筆者はおもに、自分の専門フィールドの中で感覚しえた環境破壊、特に「温暖化」への危惧を話題の中心に据えていました。
■しかし、伊藤さんは一味違いました。以下に、彼の文章を中略しながら抜粋します。
「写真は日高山脈中央部のエサオマントッタベツ岳です。…日高山脈は…最高峰の幌尻岳でも標高2052mと世界の中では決して高くないけれど、稜線には「カール」が数多くあります。…カールでは…野生の息遣いや太古からの果てしない時間が折り重なった、静寂な気配が漂っています。…山の懐を抜けてカールに佇んでみると、山頂よりも人知れぬ無数の源流や、それを取り巻く山の広がりこそ大事だと気づかされます。」
■このあと、伊藤さんの文章もまた他の筆者同様に、たとえば日高横断道路による環境変化や、ナキウサギを例にとった「温暖化」「環境破壊」への危惧を紹介する文へと続いてゆきます。
■しかし僕は、直接的に環境問題を指摘するその後半部分よりも、抜粋した前半部分の文にこそ、伊藤健次の表現者としての独立性、眼差しの深さを感じ、感銘を受けるのです。
■お山のてっぺんよりも、裾野の存在を。そこに連なる無名な個々の息遣い、折り重なった時間(歴史)を。世界の中で高さ比べをするよりも、いまこの私を取り巻いている広がりを――。
■…いささか、読み込みすぎかもしれませんね(笑)。僕のいつもの悪い癖です。
■しかし、この文脈のなかで敢えて「世界」という単語を使ってみたり、「山頂」にフォーカスを当ててみたり…。僕はそこに、伊藤さんの世を見据える眼差しを感じずにはいられないのです。
■巷の「エコ・サミット・フィーバー」に乗じるかのように発行されたこの別刷りへの寄稿のなかで、あくまでも自分のフィールドを逸脱せずに、そしてじつにさりげなく、山渡る風のような爽やかさで「山頂(サミット)って、何だろうね」と問えてしまう伊藤さんのセンスに、やっぱりこの人はタダ者ではないな、と思うのです。