備忘録

■取り急ぎ、備忘録。
■「境」は無いが「域」はある。開いているけど、包み込む。静なのに、動。
■そんな、場とも塊とも群との称せぬようなナニモノかを、つくれないだろか…と思った一昨日。
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■備忘録その2 忘れないうちに書いておく
「身体性」ということばを気に入って使っていたのだけれど、さらに掘り下げて「運動」「うごき」ということばで物事を表象させていくことの意義、意味、可能性や必要性を、先日訪ねた岡山のUさんとの会話のなかで学ぶ。目からウロコ。
「身体性」という語で一定の定義を下して安心し、自身のことばなり在り様なりをいわば「精神性の表層レベル」で固着化してしまうこと―そこにすでに、ある意味での「身体性の放棄」の危機が孕まれているのではないか、矛盾ではないか、そう思った次第。
自分のことばや、ことばや身体行動を介して世界を捉えてゆく日常の営みのなかに、もっと「うごめきの気配」が含まれていてもいい、いや、含まれていて欲しい、と願う。
鮮鋭な精神から抽出されてきたことばや日々の営みとともに、例えば、手や足から図らずもにじみ出ることばや営み、胃袋から搾り出されるようなことばや営みたちが、もっともっとたくさんたくさんあっていい。
ふとおもう。主にEメールによるやり取りがともすると異常なまでにギスギスとしてしてしまうのも、それはたぶんにメールというものが精神の部分のみを純化し突出させて表象してしまうからなんだろうなとか思ったりする。ワープロによってワードがプロセッシングされていく過程の中では、きっと、そのワードたちの裏にひそんでいたはすの「うごめくからだ、肉の気配」がとことんまでそがれてゆくのだ。
(そういえば、昨日、尊敬する写真家の先輩I氏からの何気ないメールに「新聞連載始まります。ザラ紙でも、やっぱり紙はいいねー!」ということばがあったなぁ…。紙には書き手の”気配”が染み込むのかもな…いや、読み手がいかようにも”気配”を染み込ませられるということか、手脂とともに。)
ところで、だいぶ前、『唯臓論』という本を読んだ。信頼する読書家Hさんの薦め。これは、ベストセラー『唯脳論』へのアンチテーゼ。「本当に脳だけかい?内臓をなめちゃならないんでないの?」という本と僕は解した。つまり、「人間は考える葦である」とは、なんと胃袋や心臓に失礼な物言いか、ということ。
たとえば「ことば」というものがヒトの精神活動の表象の最たるものであることは、僕には異論が無い。でも一方で、物言わぬ内臓こそが、紛れも無く、僕という存在を生命の表象としてここに有らしめているのも事実。
精神と、そして内臓からにじみ出ることばで、世界を泳いでみたい。げっぷ。
(「だって春だもん」は、そこへの準備かな。もしかしたら、もう泳ぎ始められたかな…?ま、それは読者の判断にゆだねよう)
なんでこう、精神と身体みたいなはなしをここに書き連ねようとおもったか。それは、前出の岡山Uさんとの対話ももちろんだが、ついさきほど尾道のSさんから頂いたメールがきっかけでもある。Sさん、読んでます?笑
Sさんのところの息子さん2人の関係が、何だか僕には、精神と身体のベストバランス兄弟!みたいに思えてならないのだ。
卓越した思考とロジックの持ち主・兄くんを「精神の人」と称することが許されれば、さしずめ弟くんは、手の技に長けた生活者で、「身体・肉と土の人」。
もちろんこれは、それぞれの個性を必要以上に誇張した、ある意味失礼な表現ではある。本人達が気を悪くされたら、申し訳ない…。
でも、ほんと、それぞれがそれぞれに特有の優れた個性をじつに無理なく発揮していて、しかもその個性が及ぶ営みのテリトリーが、家庭(兄弟関係)という基軸のもと、ホントに自然に溶け合っているように見えるのだ。
なんというバランス、なんと素敵なペアなのだろうと、僕は思わずにいられない。カミさまというヤツは、やはり時としてこういう美しい仕事をするものなのだな、と思う。
で、その美しい調和を見て、ああ、僕も、僕個人の中に、できればこの調和が欲しいな、と思ったというわけ。
いまは話の流れのなかで、精神と身体というありきたりな二元論でものを語ってしまったが、でも僕は、自分の中にも、また他者とつくる関係の中にも、二元どころか、できるだけ多くの「極」(熊楠風にいえば、すい点、か)を持ちたいと思う。
そう、その思いが、この日記の冒頭の
■「境」は無いが「域」はある。開いているけど、包み込む。静なのに、動。
■そんな、場とも塊とも群との称せぬようなナニモノかを、つくれないだろか…と思った一昨日。
ということばを吐かせたのだな、ふむ、なるほど、と、いま腑に落ちた。
ついでにいうと、やっぱり腑が大事かぁ…、ということも、まさにいま、腑に落ちた。ふふふ。
(いま思い出した。そういえば、先日奈良で世話になった書店店主Nさんが、古武術の極意の話しの中で「軸を複数持つこと」について教えてくれていたっけ…。やっぱり、気づかずにいろいろ染み込んでいるんだな、見たこと聞いたことって…)