六本木で仕事

3日間、東京へ行っていた。で、ついさっき帰ってきた。それにしても喉が痛い。
北海道に居るあいだにどうやら風邪をひいたらしい。でも、これといってひどい症状は無かったので、安心して東京に出た。しかし、いざ東京に着いて、有明というところで行われていた写真業界の大きな催事に参加し、半端じゃない人ごみの中で半日を過ごしたら、とたんにのどの調子がおかしくなってしまった。
2日目には酷いがらがら声で、搾り出すような声しか出ない状態に。熱などはまるでなく、体調はすこぶるいいのだが、声だけは誰が聞いても重病人のそれだ。
困った。そしてつくづく、東京の空気というものが自分には合わないのだろうなぁと感じてしまった。もともとは関東の人間なのだけれど…。
さて、2日目の昨晩は、ある企業のテナントオープンイベントに作品が使われた縁で、初めて六本木というところへ行ってきた。都心再開発で今度オープンする「東京ミッドタウン」という巨大な商業複合施設がそのイベントの会場だ。
暗い夜空にそびえ立つ、きらびやかで贅沢な巨大ビル。中に入れば、各フロアに出店したテナントは名前も知らない高級ブランドばかり。そして、そこにひしめく人・人・人。ハイソでセレブレティーらしき様相の紳士淑女ばかりだ。
今回は東京ミッドタウン全体のプレオープンイベントということで、参加できるのは関係者とマスコミ、そして招待客だけらしい。エスカレータにのれば、TVで見たことのあるいわゆる「芸能人」が何人も僕の傍らを通り過ぎてゆく。
ああ、なんたる場違い…。
僕はものすごい違和感を覚えた。多分、仕事でなければ、たとえ冷やかし目的でも立ち寄らない場所だろうな――。
すれちがう麗しきレディーたちが振りまく香水の匂いにつつまれながら、僕は無性に帯広の、芽室の、最近少しずつ土のにおいを帯びはじめた野暮ったい田舎の空気を胸いっぱいに吸い込みたくなってしまった。夜も8時を過ぎれば通る人もまばらになる芽室駅前通りのそこはかとないうら寂しさが、なんだかとても愛しく思えてくる。
六本木という「いま」を象徴するようなこの場所に限らず、東京という大都会を肌で感じるたびに、僕はその余りの大きさ、そこに集う人や行き交う物・情報の多さと濃さに、いつも愕然とする。そして、その「大きさ」や「多さ」が孕む、甘美な誘惑に満ちたなんともいえぬ危うさに、僕は時折ぞっと背筋を寒くする。また同時に、その危うさに対峙している自分自身の小ささ、無力さを実感せずにはいられなくなる。
今回もまた、それを強く感じた。東京は、余りにも大きすぎる。
ただその一方で、今回の仕事で僕のことを見出し抜擢してくれた企画会社の責任者とゆっくり話をする中で、じつは、こういう場に違和感を感じるような人間だからこそできる何かがあるはずだ、ということに改めて気づかせてもらった。
「こうした東京型の都市開発の仕方は、もうこれでオシマイだろうと思っている。多分、こうしたやりかたは、すでに限界まできてしまっている」。
ニューヨークなど、海外の巨大都市における文化や商業のあり方をつぶさに見てきた彼が、六本木の夜景を眺めながら言ったこの言葉は、重たかった。都市的な営みの最前線を歩いてきた人でさえも、じつはいまの東京のあり方には少なからぬ危機感を覚えているのだ。
今回、彼と、彼のクライアントであるテナント主は「こうしたやりかた」の中心点ともいえるこの場所に、あるコンセプトに基づく空間を創出しようとした。そのコンセプトは「sanctuary」。「聖域」「保護区域」を意味する英語だ。そして、この概念の始まりを表現するために、彼らは「森」の写真を選んだ。
テナント主は、国内有数のブランドとして商業的な成功を収めてきた企業だ。六本木という現代東京の核心地で新たな展開を始めようというその彼らがいま見つめているのは、じつは「森」だったのだ。
企画の責任者は話の中で、クライアントであるこの企業の会長が「いろいろないのちが生まれ出てくる場所」という「森観」をもっていることを教えてくれた。そして、拙著『森のいのち』がオファーの直接の決め手になったということも明かしてくれた。また、僕の言う「森は単なる癒しの場ではなく、自分自身との対峙を否応無く迫られる、じつはとてもチャレンジングな場だ」という考えに共感を覚えてくれもした。
僕はとても嬉しかった。なにか、僕のこれまでの11年の歩みを全肯定してもらっているかのような錯覚に陥るくらい、しみじみと嬉しかった。
願わくは、こうした「森」の価値への再発見が、従来型の商業主義にまるまる飲み込まれるのでなく、東京という大都会のなかでしたたかに、だが確かに、じわりじわりと浸透していけばいいな、と思った。
賑わうビル中の喧騒にちょっと疲れを覚えたので、外に出て、敷地内に整備された広い庭園をのんびり歩いた。さわやかな夜風が吹き抜けて、ぼうっとした僕の身体と頭とを程よく冷やしてくれる。
園内には、きれいに刈りそろえられた芝生のなかに、イチョウやケヤキの樹が何本も植えられていた。遊歩道沿いの桜並木などは、樹齢や本数からいっても結構立派なものだ。花の頃は今、四分咲き程度といったところだろうか――。こうこうとライトアップされているのが少し痛々しい気はするが、しかし、暗い空に浮かび上がった薄紅の花は、風に揺れながら、なんともいえない清々しさを東京の夜に放っていた。
そうだ、考えてみればこの六本木という地名は、僕の大好きな「木」によって出来ているではないか。
単純な僕は、もうそれだけで「東京も案外捨てたものではないのかもしれないな」などと思ってしまうのだった。