出ました。新刊。

札幌の「ちいさなえほんや・ひだまり」での新刊『いろいろはっぱ』サイン会、無事終了!(すみません、いつものように会場の様子の写真などは何もないのですけど…。どうも、ぼくは、写真を撮ることが苦手なようです…笑)

来てくださったみなさま、ありがとうございました! こんな気持ちの良い晴れた日に、わざわざ札幌のはずれの屋内イベントへ出かけてくださって…。本当にありがたい限りでした。

まさに今日この日が発売日という本なので、今日書いたサインが『いろいろはっぱ』については“初サイン”、そして、全編通しての読み聞かせについても、今日が“本邦初お披露目”でした。

サインについてはさほどでもないのですが、読み聞かせは(いつもそうなのですが)ものすご〜く緊張しました。

これまで刊行した「アリス館・森の絵本三部作」も、また昨年12月に刊行した学事出版「わたしたちの「撮る教室」」も全てそうなのですが、ぼくは常に「発語して読む」ということを前提に写真絵本を作っています(世の絵本作家は多分みんなそうじゃないかなと思うのですけど)。

今作『いろいろはっぱ』に関しては、特に「子どもたちに対して読んで見せる」ということをことさら重要視して製作しました。正直、もう作っている最中から、はやく子どもたちに読み聞かせをしたくて仕方なかった。

ただ、いざ出来上がって実際に読んでみると(これもいつもそうなのですが)今度は逆に不安ばかりが募るものです。

「読みたい・届けたい」という思いが強いがゆえに、却って、自分が作り上げたものが果たして子どもたちにとって「読み聞かされるだけの価値」があるものに成り得たのかどうか、また、子どもたちに面と向き合って伝えるだけの十分な質を伴ったものになっているかどうか、とにかく心配ばかりが募ります。

言葉足らずではなかっただろうか…。
もっとはっきりとわかりやすく説明するべきだっただろうか…。

逆に、

説明し過ぎなのではないだろうか…。
あの文言は余計だったのでは…。

また、

写真のクオリティやセレクトは必要十分だっただろうか…。
テキストの語彙選択、リズム、響き、調子、ページのつながりは、本当にこれでよかったのだろうか…。

そして、

そもそも、この本で取り上げたことは、果たして世の子どもたち自身の心や身体が「みたい・しりたい(しらされたい)・経験したい」と意識化・無意識化で求めていることなのだろうか…。

絵本って、著作って、そして、あらわす(著す・表す・現す)って、一体なんだろう…。

…ついついそんなことばかりを考えてしまいます。

もっとシンプルに「自分が楽しんで撮り、信念のもとで思いを語り、その結果としてこんな写真絵本が出来上がった。ただそれだけのこと。それ以上でも以下でもない。」と強く胸を張っていられたら良いのですがね。

しかし、本を出した後は、いつもこうして自分の卑小さに向き合うことになります。そして、そんな風に自己認識・自己分析してしまう自分自身の「自意識過剰ぶり」にもあらためて向き合うことになります。(ましてやそんな肥大気味な自意識をブログに公開するという“自意識肥大症”の深さ…こりゃ救いがありません…笑)
ひとたび世に出た著作は、もう作者のものではなく読者のものである--

そんな言葉を頭の中で繰り返し唱えながらも、一方で、本当にこれでよかったのだろうか…と、別の声がどうしようもなく心の中に響いてきます。

やっぱり今日(今回)も、いつか雑誌「銀花」で読んだ画家/絵本作家の瀬川康男さん(童心社「いないないばあ」ほか)の次の言葉を思い返したのでした。(特にここ数日間は、目に余る“大人のイカサマぶり”ばかりが支配する世相ですので、なおさらでした)

「こんな絵でよいのか
 こんな文章でよいのか
 子供たちを軽くあつかってよいのか
 悲しみをおしえなくてよいのか
 死の闇をしらせなくてよいのか
 日暮れてからの 道の遠さは 骨身にしみる」
              瀬川康男

・・・・・・

まあ、ともあれ、作者はこうした卑屈で小さな人間ですが、写真絵本『いろいろはっぱ』と、掲載されている葉っぱたちには一切罪はありません(笑)。葉っぱたち、共謀だってしてません。

今日は、たくさんの方々の力が合わさり、またたくさんの葉っぱたちの力が合わさって、一冊の本が世に向けて放たれた日です。小さな一冊、されど一冊。ぼくにとってはとても大事で素敵な1日でした。

最後になりましたが、みなさまどうか『いろいろはっぱ』をぜひご一読いただき、ご批評、ご意見などお寄せいただければ幸いです!