北海道子どもの本のつどい、終わる

■この半年間準備を進めてきた「北海道子どもの本のつどい・芽室大会」が、昨日・今日の日程を全て終え、無事終了した。全道の児童書関係者を我が町に迎えて催した大会。
■この町で催せて本当によかった、が実感。細かく書きたいことは胸の内にいろいろある。ここに書くべきことも、たぶん、いろいろある。
■でも今は、心地良い疲れと、打ち上げのビールの酔いとで、まともな言葉が紡げそうになりので、書かない。いや、ほんとは、こういう朦朧状態で発することばのほうがむしろ我が心根に近いかも、と思うし、それゆえに、書くべきかも、とも思うのだけれど…。
■一つだけ、書こう。
■僕が担当した分科会。「写真絵本を作ろう・子供ワークショップ」。24名の小学生、サポート役の中学生9名と共に、デジカメ片手に町内の森を歩き、各自の感性で撮影取材をし、最後は、各々が写真絵本として「作品」をつくった。
■この分科会が素晴らしかった。すくなくとも、僕にとっては。
■改めて思わされた。「’おとな’然とした心や眼で、子供を軽軽しく過小評価すべきではない、軽んじるべきではない」と。もちろんこれは自戒の念だ。
■奴ら、やっぱりというべきか、おそろしい存在だ。ひょひょいと軽やかに、しかし、どどーんと重たい写真を撮りやがる。そう、上手いか下手かとういう以前の問題として。
■作曲家の故・武満徹が駆け出しのころ、著名な音楽評論家から「武満作品は”音楽以前”である」と超酷評されたことが、後には逆に武満徹の音楽の本質を突く「最高の評価」に成り得てしまう、というような、そんな感覚に近い。
■そうした至福の体験を、先日の函館でのワークショップに引き続き、またも味あわせてもらった今日だっただけに、今はもう、選挙の結果など、もうど~うでも良くなっている自分がいる。
■安倍政権がどうなるのかは、今、確かに大事は大事だか、事の意味の濃さを比較すれば、選挙結果など、ああ、そうなの、なるようになればいいんでない?というレベルのものだ。
■政治などというものは、今日僕が味わわせてもらった実感の上にたつものなどではなく、むしろこの実感のなかにこそ、政治を含めた理(ことわり)至上のちっぽけな世界観が抱合されているのだろうな、とさえ思える。ちょっと大袈裟だけれど。
■そう、つまりは、僕にとって、いい一日だった。
■そしてそのダメ押しとして、いまさっき、パソコンに向かう僕の背後で、娘が口にしたささやかな独り言の如きつぶやき声が、このオトーチャンの一日を最高のものに仕上げてくれた。
「明日、天気になるといいねー」
■こういうことばを、日常のなかで何気なく聞くことができることの意味を、僕はちゃんと受け止め、考え、これからも大切に温めていこうと思う。
■ほんとだね。天気になるといいよね。なるよ、きっと。
■さて、明日から山梨~神奈川~近畿へと、旅の空の下だ。アフガンの事も、改めて日記に書かなきゃならんが、うーん、しばらくはだめだな…。
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と、書き終えてから、気付く。
僕の考えは能天気なすぎるな…。そう、選挙結果のこと。今回の結果は、けっして軽くはない。
これまでの政治体制ゆえに過酷な抑圧を受けている人にとっては、僕の今日の日記の発言は、暴言に近いだろうな…。
沖縄の今日を思え。在日外国人たちの今日を思え。イラクの、アフガンの子供たちの今日を思え。広島・長崎の人たちの今日を思え。東京都の公立学校に通う子供たちの今日を思え。旧日本軍「慰安婦」たち、中国残留孤児たちの「あの日」と、「これからの日々」を思え。そして、近かりし未来のイランのこどもたちの、決して来るべきではない「その日」のことを思え。
それらの人に思いを寄せられぬ自分のすがたに、いま、この日記を書いていて改めて気付いた。視野が狭いな…。