北海道新聞「各自核論」/あまちゃん

今朝9月27日付け北海道新聞オピニオン面「各自核論」への寄稿がよかった。

■「祭りで盛り上がる社会」思考や判断停止の懸念
 作家・藤原智美

■「ゼロ成長への偏見を正す」異常から正常への回帰
 立命館大学教授・高橋伸彰

それぞれの論には、驚くような斬新さや革新性こそないけれど、でも確実に、いまをどう生きるか、これからどう生きてゆくのか、への示唆がある。


ついでに…「あまちゃん」。

“瓦解・断絶からの恢復”という主題が、優しく貫かれている。しかも、朝ドラが得意とする「単一のヒロインの成功譚」にそうした主題を押っかぶせるのではなく、重層的な“ヒロイン群”の関係性の中にそれをうまく織り込んでいるなぁと思う。

「1人の英雄をつくらない」。僕はそういうの、好き。

「瓦解からの恢復」という点では、前作「純と愛」だってそれを取り扱ってはいたけれど、いかんせん、エピソードのほとんどが唐突で、エキセントリックすぎた…。

もちろん「あまちゃん」の演出の中にも唐突さやエキセントリックさはある。でも、それらはちゃんと人間関係と、巡り来て巡り行く有機的な時間経過のなかで一定の根拠をもって立ち現れてくるし、なにより、それらをストーリー全編もろともに包み込むような「やさしさ」がある。「柔和さ」ともいえるか。

明日最終回。

ドラマは、海開きと北鉄開通式という、登場人物達にとってのある種の「スタート地点」に巡り巡って帰って(還って)くる。オープニングの、川の流れを上流へとさかのぼる映像の如くに。

しかし、帰っては来るが、それはものごとを“逆回転”させることではない。劇中の随所で印象的に語られていたように、起ったことは逆回転なぞできないし、ひとたび瓦解したものは、元と同じ状態には戻らない。

(今夏、Yさんの案内で石巻の大川小学校を訪ねたとき、僕は心の底から「せめて一度だけ、ものごとをリセットする力が人間に備わっていたら…」と痛切に願ったが、でも、それは私たちには無理なのだ。だから僕は、あきちゃんが「逆回転!」とやるたびに、いろんな思いや風景がオーバーラップしてしまい、朝っぱらから苦しくて、泣けて泣けてしょうがなかった)

でも、もとには戻らないけれど、人間は、新しいスタートをきることができる。人間(人同士)の力が、新しい始まりを見せてくれる。

あすの「あまちゃん」は、最終回に、どんな「始まり」の風景を見せてくれるだろう。すごく楽しみだ。

(あと、水タクが何を掘り出したのかも、楽しみ!)


追記

「巡りきて巡り行く有機的な時間経過」と書いたが、そうした“寄せては返す波のように”折り重なりながら繰り返される時の象徴的存在は、「季節」だ。いま一度、主人公たちに与えられた名前を思うとき、なるほどなあと、一人勝手に合点している。