多様な極

過去に何度かこのブログ(日記)にも書いてきましたが、写真家/写真絵本作家という「肩書き」とは離れたところで、町の仲間とNPO活動をしています。

ざっくり言えば「地域づくり応援NPO」とでもいうのでしょうか。これまで様々な活動をしてきたのですが、今は町の委託を受け「めむろ町民活動支援センター」という官設民営の中間支援組織の運営を行っています。

ただ、ぼくの立場は、センター運営団体であるNPOの、単なる“名前だけ代表”であり、ほとんどなにもしていません。実質的な運営業務は、非常に優秀なセンター職員チームが日々創意工夫のもとで切り盛りしていて、ぼくはそれを「すごいなぁ。よくやるなぁ。いい感じだなぁ。」と感心しながら眺めているだけなのですが。

昨夜は、センターが町から運用を任されている「めむろ人まち育て助成金」という助成制度の、採用事業を決定する審査会が行われました。

この助成制度の対象となる事業は、これまたざっくり言えば、町民自らの意思で行われる地域づくりに貢献する事業、または町内の住民活動をより活性化させたり新たな活動を芽生えさせたりするために行われる事業です。

こうして字面にするとなにか堅苦しい印象があるのですが、これまで4年度にわたって実施されてきた中では、たとえば乳幼児親子のための演劇鑑賞とか、幼保学校でのフッ化物集団洗口について課題点を学ぶ保護者の集いだとか、数百人規模の食とアートのフェス開催だとか、硬軟大小とりまぜた大変バラエティーに富んだ活動事業がエントリーし、採用されてきました。

今回も、地域歴史学習団体の巡検視察事業、弓馬競技の国際大会開催事業、子どもの造形と食の創作キャンプ事業など、ユニークな3事業がエントリーし、昨夜の審査会ではそれぞれ熱意を込めて事業のプレゼンをし、審査を受けました。

その採否結果をここで公表するわけにはいかないのですが、どの事業も、申請者自らの持てる能力や関心を最大限発揮し、かつ、地域にしっかり根付くであろうことを予感させる、素敵な事業ばかりでした。

これはちょっとした自慢なのですが、わが町芽室町、実に住民活動、市民活動が豊かなのです。ちなみに、センターに登録されている住民活動団体/個人の数だけでも、数年前から倍増し、現在100を超えようとしています。芽室町、すごいんです。

地域の暮らしに対する個々人の多様な思いが、何らかの個人的な活動となり、それが核になって賛同者(仲間)が集まり、具体的な目的や内容をもった取り組み(事業)になっていく。そのダイナミックな過程は、外から見ていると、本当に素晴らしいものです。

もちろん、活動が長くなるにつれ、活動の中心にいるメンバーの固定化や高齢化、活動のマンネリ化と停滞、活動を社会に浸透させていくことの困難さなど、すべての活動が何の障壁もなく順風満帆に進むわけではなく、各団体/個人それぞれに課題を抱えているのですが、それでも、地域の中にそうした「多様な極」が、それぞれの意志や能力のもとで豊かに立ち上がって、それぞれに存在の意義を持って息づき、それが寄り添いあって一つの「景色」をなしている様は、ぼくにはとても“美しい”ものに思えます。

ぼくにとっては、それは言ってみれば、「森」です。

その「多様な極」としての各活動は、森に息づく生命同様、多様であるがゆえに、自ら見出した為すべき課題や目指すべき在り様へのアプローチの方法も経路も実に様々です。

時には、そうした課題・目的と活動とが容易には直線的・直接的に結びつかない場面、または、課題と活動との関係をスムーズに取り持つもう「一つの極」や何らかの「しかけ」が必要とされる場面もあります。

そうした時に活躍する(べく設置された)のが「めむろ町民活動支援センター」であり、運用を任された助成金制度だと思っています。大事なのは「つなぎ手」です。
これは、先日札幌で行った自分自身の仕事「小さな森de絵本と音楽を楽しもう!」イベントのコンサートの中で喋ったことでもあるのですが、つねづねぼくは、「絵本」という世界もまた、その形成のされ方が実に「森」に似ているなぁと思っています。

「絵本」という世界の成り立ちかたって、たとえば「優れた作者」が作ったものが直ちに「優れた読み手」に届けばそれで良いかというと、ぼくが思うに、そうじゃない。そんな単純で直線的な関係が成立すればそれで万々歳な世界じゃないのが、絵本だと思っています。

「作り手」と最終的な「読み手」である子どもたちとの間を取り持ち、喜びとともに本と人を繋いでくれる存在、すなわち「手渡し手」がいてこその「絵本」です。(そこには「編集者」もふくまれると強く実感してもいます)

絵本しかり、森しかり、地域づくりしかり。「つなぎ手」や「手渡し手」も含めた「多様な極」からなる世界にとても魅力を感じます。多様とは、複雑であることで、ときに面倒臭いこと。でも、それが「いきものらしく」ていいなぁと思います。

昨日の助成金審査会では、各活動団体さんの生き生きとした姿を見るのと同時に、「つなぎ手」としてのセンターの役割やなすべきこともよく見えたので、とても良いひとときでした。

ただ、助成金事業にしろ、センター事業そのものにしろ、官設民営の仕組みの中で公金を原資に運用するものですから、どうしても公正性や中立性みたいなものを強く意識して制度設計をし、それにのっとった運用をしなければなりません。

極力、応用の幅の広さや視点の柔軟さを保っていたい、そうでなければわれわれNPO(民)が業務を受けている意味が無い、とは思うのですが、気がつくといつのまにか意識が「規定の手順と形式からはみ出さないこと」「“間違い”が生じない様にすること」「極力“直線的”に課題と事業とを結びつけること」、ひいては「全体の形を保つことを優先すること」の方へすーっと傾いてしまうことがあり、俗に言う「官僚的発想」に引き寄せられている自分に気づくこともあります。

自分で足を踏み入れたことだとはいえ、心のバランスの取り方はなかなか難しいものです。でも、そうした自分自身の中の、ある種の“危うさ”に直面することも含め、非常によい勉強になります。

直線的な世界観(正か誤か、正義か悪か、やるかやられるか、強い側か弱い側か、または、昇るか堕ちるか)ではなく、なるべくなら複雑なままの世界で、ときにはどうにもならない面倒臭さにため息をつきながらでも、極力いきものらしく生きて行きたいです。

では、本日午後は、ため息をつきながら庭の“雑草”たちと向き合ってくることにします(笑)。