娘と散歩/餃子は自家製に限る

午前中は長女と二人で散歩。暖かな春の日差しの中を、手をつないで歩いた。
建物の日陰にはまだ雪が所々残っていたりはするけれど、日当たりのよい空き地や道端にはクロッカスやタンポポがぽつりぽつりと咲き出している。ライラックの蕾も、硬い鱗片のあいだにかすかな萌黄色をちらりと覗かせている。
無彩色だった景色に、柔らかないのちの息が吹き込まれてゆく。北国の遅い春も、さあ、いよいよ本番開始だ。
娘は、足元に咲く小さな花々を見つけては、「ああー!ちょっとー、これ見て―!ここにも咲いてる!こっちにも!」と、いつにもまして上機嫌に騒ぎ立て、僕の手をグイグイと引っ張る。まるで一世一代の大発見をしたかのような大袈裟な口ぶりが何ともいえず可笑しい。そして、うららかな青空に抜けてゆく無邪気なその声が、たまらなく愛しい。
歩道をあるいていたら、ひび割れた路面に掘られたアリの巣の近くに、干からびたミミズの死骸を見つけた。娘ははたと立ち止まり、腰をかがめ、じっとその死骸に見入っている。小さなアリがいっぴき、この大物に果敢に挑みかかっていた。
さて、娘はこの光景に何を思うだろう、と思って、僕は黙って見ていた。すると、彼女、ちょっと神妙そうな顔つきを作って僕に向けると、「おとーちゃん、春は楽しいけどさぁ、でもさぁ、死んじゃうのってさぁ、ちょっとさみしいよね、やっぱり。」と言った。
浮き足立つほどに嬉しく楽しい春の日に、不意に対面したミミズの死に様。彼女はそこで、死んだものにちゃんと心を留め、死の悲しさをきちんと口にし、それを僕に伝えた。
うん、そうだね。
この親バカは、心のなかで娘の頭を「よしよし」となでながら、こうして娘の成長を確かめる機会を与えてくれたミミズの乾いた亡骸に「どうもありがとね」と無言の礼をするのだった。
いい散歩だった。
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夕食は、餃子。僕とカミさんは、餃子好き。1週間に1~2度は餃子を食べているかもしれない。
育児に忙しい最近は、出来合いの冷凍餃子などでささっと済ませることもあるが、今日のような休日には、やはりきちんと手間ひまかけて手作りをしたいものだ。そして「絶対に美味いものを喰う!」と決めたときには、カミさんには台所を譲らず、必ず自分でやると僕は決めている。
今日は、夕方になって急に「餃子にしよう」と思い立ったので、長女と二人で急いでスーパーへ行き、ひき肉と白菜その他を買い込む。ちょうどいい具合に、見切り品の安い白菜があった。豚肉も広告の品・国産グラム60円台だ。と、気付けば娘はどさくさに紛れて、大好きなプリキュアの「お子様カレー」を買い物カゴに入れていた。ちゃっかりした子だ。
うちに帰って、薄力粉強力粉を熱湯でコネコネ。皮自体の味付け(塩加減)も結構大事だ。粉末だしも少し入れる。具は、玉ねぎ白菜の大き目のみじん切りにキノコ類(今日は安売りのブナシメジ)、あとはニラにんにくショウガ肉をコネコネ。僕の味付けは少し甘め。酒、塩と、砂糖が結構入る。あと、醤油とオイスターソースを隠し味に。
中華風タマゴスープを作る傍ら、皮を麺棒で伸ばし、具をたっぷりと包む。油でジュッと焼き色をつけ、熱湯を注ぎしばらく蒸す。仕上げは、水溶き片栗粉で「羽」をつけるなどという姑息なことはせず(笑)、ゴマ油をひとまわしたらしてパリパリに焼き上げる。
準備開始から「いただきます」まで、丁度1時間。生地作り込みにしては、なかなかいいタイムだ(笑)。
焼き立てをほおばる。もちもちの皮が肉汁を一滴たりとも逃さず、噛めばじわっと旨みが口に広がる。若干厚めの皮生地の小麦粉自体の甘味が混ざり合い、うーん、最高に美味い。やはり皮は手作りに限る。ああ、これでビールを買ってくるのを忘れさえしなければ、パーフェクトだったのだが…。
ま、今日は総じていい一日だったということで、満足。