富村牛小中学校 写真絵本づくりWS

昨日に引き続き、今日も学校で写真絵本づくり。新得町立富村牛小中学校。百名山トムラウシ山へ至る途上の緑あふれるトムラウシ集落にある、全校生徒15名の小中複式校。まるで家族のような子どもたち、先生たち。(サムネイル写真は昨日の忠類小学校の様子)

校庭のすぐ向こうに広がる「遊々の森」という学校林を撮影フィールドにして、「いのちを感じる絵本」を作りました。

今日の作品も、秀逸。いつもどおり、小学生たちの“直球勝負”的な作品群も強烈な魅力を放っていましたが、それに加えて、中学生たちの「どうやってコンパクトカメラでこんなの撮ってきた?」と問いたくなるようなハイセンスで完成度の高い写真も多々。

ちょっと、すごいよ、あなたたち…(ため息)。

当日になってから急遽、校長先生をはじめとした教員の皆さん、また生徒のお母さんも“参戦”することになり、子どもたちとともに「世界で一冊の作品づくり」に挑んだのですが、こうなるともう、教師も教え子もありませんね。

もう、ほんとうに楽しかったー!

しかし、子どもたちが無意識に作品内に醸し出してしまう個々それぞれのトーン、テーマ性、主張に、毎度のことながら感心させられます。

たとえば今日の最年少・小学1年生のRちゃんの最終ページ。

花や落ち葉やかわいいキノコなど、彩りもあり目を引く被写体を捉えた写真が手元にありながらも、それらは序章から中継ぎ扱い。最後の最後は、ザックリとささくれだった折れ口が生々しいヤナギの倒木の写真で終えてゆきます。

その横たわるヤナギの灰褐色の幹には、ヤナギ特有の生命力が青い若枝を萌え出させています。そして、そうしたヤナギの姿を写す写真の横にRちゃんは、「おれたき。でも、いきている」と短い言葉を添え、本を締めくくります。

し、渋い…。そして、いい。

(ちなみに、それまでのページは、たとえば「お花、ふわふわ」とか「かわいいキノコ、双子みたい」といったような、被写体の形態描写や“見たて”のことばを写真に添えていたのだったと思います)

もしも僕が撮影に出る前のレクチャー時に、写真絵本の雛形・作例として自分の著作『森のいのち』を読み聞かせし「例示」していたとしたら、『森のいのち』の主要なモチーフである「倒れた木に新たないのちの萌芽」ということが、もしかしたら子どもたちが作る作品の内容に強く影響を及ぼしていたかもしれません。でも今日は『森のいのち』は読みませんでしたし、概要を紹介することすらしませんでした。

Rちゃんは、わずか45分間の学校林散策と、多分生まれて初めての「本を作るための撮影行為」を実践する中で、他の誰に「こうしたら?」とアドバイスされることもなく、講師や教師から指示されるでもなく、「生々しい倒木の写真」に「でも、いきている」ということばを添えて自分の“著作”を締めくくるという「構想」を醸成し、与えられた環境の中でそれを形にしたのです。

もしかすると、今日の一日を通じて僕が発したことばの中から、そうした構想につながるエッセンスを、彼女の“アンテナ”は秘かに捉えていたのかもしれません。しかし、そのエッセンスを繋ぎ合わせて形にすることも含めて、みな彼女の内部、彼女の感性の領域で為されたことです。

僕はRちゃんに「なんで最後をこの倒れた木の写真にしたの?」と聞いたのですが、彼女いわく「いや、別に、なんでっていうのはなくて…」と。

そんな無意識的に現れてしまう子どもたちの「構想力」や「もの語る力」を見るたびに、たとえそれが表現としては拙かろうが、未熟だろうが、毎度毎度それに僕は驚かされ、「決してこの人たちを見くびってはならないのだ…」と襟を正すのです。