小さな試み、立ち上がる

寝坊した長女を大急ぎで保育所に送り届け、その足で町内の「町民活動支援センター」事務所へ。今日午前中はここで、地元の子育て(子育ち)ネットワークの人たちとお話。15日の日記で書いた「子どもの本関係の講演会」を地元でいっしょにやりませんか、というお誘いをしに。
皆さんとても協力的で、なんだか楽しく準備を進めていけそうな予感。いいイベントができるといいな。
しかし、この忙しいときに、なぜわざわざ講演会の企画など立て、それに携わろうと考えてしまったのか…。自分の本業である写真撮影さえもままならないというのに。自分でも「なにやってんだろうなぁ」と呆れます。昨年からずっと棚上げになっているもろもろの仕事もあるのになぁ(お待たせしてしまっている皆さん、すみません…)。
でも、なんだかいま、無性に、自分で動きたいのです。特に、子どもがこれからこの社会の中でどう育ってゆくのかという事に関して。
いまの世に対して自分のHPやSNSの日記で浅はかな苦言を垂れ流すのは簡単なこと。ときどき友人を捕まえては「今の世の中ダメだよね」とブー垂れるのも簡単。でもそれは、単なる自慰行為に過ぎない。それはハナから分っている。分っていて、なお、自慰を続けてきた。また、「自分は写真で物を表現する人間なのだから」などと、現実を棚にあげた理想論を隠れ蓑に逃避もしてきた。
でも、いまはなんだか無性に、自分の手が直接触れ得る世界の中で、現実に直接人と触れ合いながら、何か思いを形にしたいなぁ、と思うのです。これは「写真で物を表現したいなぁ」というのとは、ちょっと違う感覚なのです。
(きっと真の芸術家は、自分が携わる芸術と自分の関心事が黙っていても直結するものなのでしょうが…)
生まれたばかりの子どもを腕に抱くときの、嘘偽りの無いあの直接的な温もりが、そんな気持ちを起こさせるのでしょうか。何にせよ、自分の足元を見据えながら、手の届く範囲で、誰かと顔をあわせて、何かをしたい。そう思うのです。
「子どもの本の講演会」を企画することが、バーチャル空間でブー垂れる事にどれだけ勝っているのか、うーん、分りません。もしかすると、これもまた自慰行為に過ぎないのかも。それくらい小さな試みです。でも、楽しみなのです。
あ、そうそう、同じ町内の某所に、いろんな表現活動をしている人と共同アトリエをもてるかもしれません。正確には、すでにある某グループのアトリエに僕がお邪魔するかたちなのですが。これも楽しみ!