山尾三省「ここで暮らす楽しみ」

■知人から借りて、いま、山尾三省著「ここで暮らす楽しみ」(山と渓谷社)を読んでいる。
■詩人また思想家として著名な山尾氏については、じつはかなり前からさまざまな文献や会話のなかで見聞きをし、その人物像や思想の輪郭はぼんやりと知っていた。
■しかし、かなり高い関心をよせていた人物だったのにも関わらず、なぜだかいままで氏の書いた文章やことばそのものに触れる機会を僕は持たずにきた。我ながら、不思議だ。
■さて、こうして改めて氏のことばに直接に触れてみると、非常に共感を覚える部分が多くいことに今更ながらに驚く。
■無論、山尾氏は、思いや実践においては、僕のようなものが「共感」などといってはおこがましいほどの大先達なわけだけれど…(ちなみに山尾氏は故人である)。
■特に、”自然”との対峙のなかにおいて、彼が何を実践し、何を見つめようとしていたのかという部分に関しては、僕などはもうとにかく、合点!と膝を叩くしかない。
■この著書(アウトドア雑誌である月刊『Outdoor』に’96~’98年に連載されたエッセイをまとめたもの)から一つだけ、以下に氏のことばを抜書きしたい。昨日読んだページのうち、もっとも響いた箇所だ。
■ただ、この一文、様々な思索を経て氏が到達した「アニミズム」という考え方(価値観)についてのある程度の理解がないと、少し解り辛い、もしくは誤解を生じる恐れのある一文であるかもしれない。
■特に「神」または「カミ」ということばについては、なにかと”フィルターノイズ”が多くかかりがちな概念であるので。まぁ、本書の内容を全てここに紹介できればそんな心配は杞憂に終わるのだけれど…(本書では、なぜ山尾氏がわざわざ「神」と「カミ」を区別しているのかも良く解るように説明されている)。
■宗教的なテイストを含む論説にアレルギーのある方には、できれば、いわゆる既存宗教(特に一神教)の”神さま観”から切り離してこの一文をご一読願えれば、幸いだ。
■僕としては、特に後段の一文は、前々回のこの日記(12/5付「11月撮影分」)への補記ともしたい。そこに込められた自然観のエッセンスこそが、僕があの日記につけた舌足らずで不親切で思わせぶりなコメントを力強くフォローしてくれるように思う。
■またそれは、拙著「森のいのち」の最後のページに込めた思いにも、じつは通低している。
(なおさら解り辛いゎ…と言われたらそれまでだけど…笑)
以下、抜粋転記--------------------–
  ぼくがアウトドア、あるいはアウトドアライフというこの時代の潮流を深く肯定するのは、この個人、あるいは孤人にさえ閉じこめられている生命が自然という無限のカミの只中にさらされることによって、自分の生命もまたひとつのカミであり、カミが与えてくれたものであることに気づいて、その生命力がより充実し深まる可能性にさらされると考えるからである。
  自分とは何か、を尋ねて行けば、それはきっと神ないしカミに到る。神あるいはカミとは何か、を尋ねて行けば、それは必ず自分に到る。
 山尾三省著『ここで暮らす楽しみ』より抜粋
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春日山・柳生街道の石畳の朝
(奈良県/07年8月)
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春日大社
(奈良県/07年8月)
*写真は山尾氏の著作とは直接関係はありません。