撮影に来ています

森に撮影に来ています。
ちょうどアカエゾマツの受粉時期。高い枝先に真っ赤な球果がたくさんならんできれいです。でも、雄花もいままさに「満開」で、森の中はもうもうと霞のように花粉が漂っています。
カメラにも三脚にも、あっという間に薄黄色い微粒粉が付着して、もう大変。長いことこの森に通ってますが、こんなに大量の花粉の中を歩くのは初めてです。
足元には、ゴゼンタチバナやズダヤクシュが小さな白い花を開いています。
ミツバオウレンはもう盛りが過ぎた頃でしょうか。花が散ったあと、小さく膨らんだ実が丸く環状に並んでいます。木漏れ日があたると、まるで緑色の小さな冠のように、林床に輝きます。
ハクサンシャクナゲも、固く閉ざしていた冬芽の芽鱗をハラリとひらき、うぶ毛を密生させた白く柔らかな新葉をおひさまに向けすらりと掲げています。
通い慣れた遊歩道をあるいていたら、一本の倒木の周りで、それらの植物たちが、それぞれに葉を開き、それぞれに花を咲かせ、それぞれに実を結び、あまりに美しくあまりに清々として朝の光の中に佇んでいました。
見慣れているはずの倒木の周りのなんてことない風景だったのですが、今朝はなんだか丁寧に向き合わなければ彼らに申し訳ないような気になって、三脚を立て、じっくりカメラを構えて撮りました。
植物たちは、ちゃんと時がくれば芽を出し、葉を開き、花を咲かせ、実を結びます。
当たり前のことですが、その当たり前を淡々と完遂してゆく姿に、僕はつくづく「すごいなぁ」と感嘆します。そして僕は、その当たり前を、写真に撮ります。
花粉まみれになりながら、通い慣れた森で、見慣れているはずの当たり前の風景を、今日もバカ正直に撮っている自分。
考えてみれば、そんな、何の足しになるのか分からないような小さくバカ正直な営みが、今や積もり積もってまがりなりにも「仕事」になり、さらには、そんなふうにして撮った写真を観てくれ喜んで下さる方々がいるとは、なんとも信じ難いほどに奇跡的な幸せです。
そんな自分の写真家としての今の在り様を決定づけたいくつかの決定的な出会いがありました。間違いなく人生の大転換点となった、かけがえのない人たちとの出会いがありました。
そのうちの一人が、いま非常に重い病の床にあります。遠い遠い地で、彼女は、彼女の身体は、いま最期の闘いをしているようです。
森を歩きながら、「せめて苦痛がないように…」と祈りながら、その人の顔を思い浮かべていました。
そして、僕がいま撮影したこの写真を彼女が観たらいったいなんて言うだろうなぁ、と考えたら、どうしようもなく涙が出て、森の中で一人泣いてしまいました。