暴力

■もし「強制を目的とした他者への実力行使」を”暴力”、”暴行”と呼んでいいのなら、沖縄でまたも起こってしまった米海兵隊員による少女”暴行”事件は、驚くべき事件などでは全くなく、むしろ起きるべくしておきてしまった事件だと理解できるだろう。
■だって、海兵隊、つまり軍隊なんてものは、所詮、「強制を目的とした他者への実力行使」、つまり「暴力行使」がその主たる仕事なのだ。そのことは、”戦争”とか”軍隊”というものがどういうものであるのかの歴史的事実を知っている人であれば、つまり、まともな歴史教育を受けてきた人であれば、きっと誰もが解っていることだろう。
■その「暴力組織」の一構成員が”暴行”を働いたからとて、僕らにとってそれは、じつは、意外なことでもなんでもない。
■特に、軍隊の中でも米海兵隊は、またの名を”殴りこみ部隊”と呼ばれるくらい、その存在目的の本質は極めて純度の高い「暴力遂行機能」にある。沖縄の在日米軍基地の海兵隊員たちは基本的に、日々、いかに暴力を行使するかを学び、訓練し、備えていることだろう。
■折りしも、つい先日僕は、ある知人がこの1月にアメリカ本国の海兵隊員訓練キャンプ(いわゆる”ブートキャンプ”)で撮影してきたばかりのビデオ映像を見る機会を得た。
■あどけなささえ残る青年入隊志願者たちがキャンプ入りし、上官の罵声の中で次第に軍人に変えられてゆく様を写したその映像は、軍隊というところがいかに巧みかつ迅速に個人の人格や意思を奪い去り、一律の様式と強制力のもとに完全支配し、その上で「実力行使」の作法を刷り込んでゆくのかを、実にわかりやすく伝えていた。
■そもそも兵士というものは、その出自そのものが「強制による支配」=「暴力」なのだ。
■その”現存在の本質を暴力に置く人間”である米海兵隊員が、自らが慣れ親しみ、また発揮すべく準備させられてきた”暴力”を、形や矛先は違えど(アフガンやイラクで鉄砲をぶっ放すのではなく)、たとえば、より支配しやすく、また支配欲を掻き立てる身近な対象に向けたといっても、なんら不思議な出来事ではないではないか。
■繰り返しになるが、これは、「こんなことが起こるなんて…」といまさら驚き憂うような事件では全く無いのだ。むしろ、潜在的な危険が単に具現化してしまったことによる「おきてしかるべき事件」なのだという視点を持つべきだろうと思う。
■ここで是非とも誤解しないでもらいたいのは、僕はなにも「米海兵隊員は全てレイプ犯予備軍だ!」などといいたいのではない。また、「今回の事件の責は組織としての米海兵隊の構造そのものにあるのであって、逮捕された海兵隊員個人は免責すべきだ」などといいたいわけでもない。
■もちろん「起きるべくして起きたんだから、大したことじゃない」とか、ついでにいえば、「オトコは本来そういう暴力的な生き物なのだ。だから、うかつに誘いに乗る少女の方が悪い。」などと言いたいわけではもちろんない。”オトコはクロヒョウだ”などと思っているわけではない。
■米海兵隊員のなかにだって、「暴力漬け」のなかでもなんとか自らの暴力性の発現をセーブしている人間はたくさんいるだろう。むしろそうした人間のほうが多いだろう。
■当然のこととして、この犯罪はまず、容疑者個人の責として厳格に償われなければならないだろう。そして、組織としての米軍隊も綱紀粛正に本気でつとめるべきだろう。
■しかし、それと同時に肝要なのは、軍隊の本質が暴力であることを解っていながら、その「暴力準備・生産工場」である米軍基地を沖縄という土地にこの何十年間もずーーーーーーっと押し付けてきた日本という国の全体意思、つまり「僕らの民意」が負うべき責を、いま問い直すことなのだろうと僕はおもう。
■より根本的なことをいえば、戦争という名の暴力的行為を、親身に考えもせずに”必要悪だから…”と容認して続けてしまっている「民意」が、今回ある少女の心身に負わされた残酷な傷と全く無関係であるとは、僕には到底思えないのだ。
■僕らが「楽園」などともてはやすあの「ちゅら島」で、なにを隠そう、この国の”全体意思”が、また、「思いやり予算」などと名を変えられた税金が、今この時も、世界最高水準の”暴力”を育て醸成し続けている。これをどう考えよう。
■いや、いつも同様、考えすぎなのかしら…。考えても仕方のないことかしら…。思考停止、したほうが、楽かな…。そんなことよりもっと自分の生活に直結した、今考えるべきこと、ほかに一杯あるじゃないか、と自分でも思う。
■でも、もし今回の事件が北海道十勝で起こったとしたら…。そして、考えたくも無いけれど、もし自分の大切な家族がその犠牲になったのだとしたら…。ハラワタのあたりがふつふつとしてきて、そんなのかんけーねー!と笑ってなどいられなくなっちゃうんだよなぁ…