未婚増

備忘録。

4月5日付北海道新聞トップの大見出し「生涯未婚率 最高更新」。小見出しに「非正規増が一員」。

メインテキストの書き出しはこうだ。以下、紙面より引用。

「人生の選択が多様化する一方、非正規労働者が約4割に増え金銭的な理由で結婚をためらう人も多く、少子化の流れに歯止めはかかりそうもない。非正規の処遇改善など結婚を後押しする対策が急がれる。老後に身寄りがない人が増えるため、介護や医療など受け皿の課題にもなりそうだ。」

以上、引用。

現実としてはまさにそうなのだろうな、そういうことなのだろうな、と頷くことができる。

でも、なんか…なんかなぁ…とモヤモヤした気持ちもまた残る。

少子化“問題”の一原因としての未婚増“問題”。

個人の生活経済に対する“リスク”や負荷としての結婚と子ども。

この記事のように、結婚や家庭にまつわる現象を論理化し、「解決されるべき課題」として捉えようとすればするほど、結婚やそれに基づく家庭形成の、制度としての味気なさばかりが際立って感じられるのは、なぜなのだろう。「結婚」「子ども」「家族」という概念が、すぅーっと人間社会の域外へと遠のいていくかのような感覚は、なんなのだろう。

情報化やコミュニケーションのインフラ化で個の孤立化や分断がもはや止めようもないほどに進み、しかし一方では、その流れへの揺り戻しでもあるかのように、「夫婦仲良く」とか「家(イエ)制度の守ろう」とか、もっと言えば、例えば「私たちは皆、万世一系の“お父様”を家長におしいただく大きな家族」というような価値観やシステム(制度)の一律的な復権を推し進めようとする動きもある。いま、私たちは揺れている。

洋の東西を問わず、いろいろな制度・システムが揺れ、ひび割れ、めちゃくちゃに壊れ続けている昨今である。「結婚・家庭・家族(含・子どもを持つこと)」とて、一制度・システムとして捉えるならば、その社会改変の中でひび割れ、壊れていくのも当然だろう。そしてそれは個人の生活への“問題”にもなるし“リスク”にもなるだろう。

で、制度の変容の度合いが数値化され、その結果への考察が今朝の新聞の一面で取り上げられたわけだ。で、記事内容には、なるほどそうなのだろうなぁ、と、頷ける。

でも…。

でもなぁ、なんかなぁ、違うんだようなぁ…とモヤモヤした気持ちが残る。なんだろう。本当はちゃんと言葉にしなければならないのだろうけれど。率直に言えば、貧しい表現だが、なんか気持ち悪いのだ。