7月26日(前回からのつづき)
■南相馬市鹿島区。真野川が海に注ぐ海岸線から約2km内陸のところに「みちのく鹿島球場」がある。2011年当時、ここは市が指定する「災害避難場所」となっていた。そのため、3月11日の地震があったとき、近隣の方々はこの球場を目指して「避難」したという。
■しかし、誰も予想だにしなかったあの大津波は、この球場をも呑み込んだ。スタンドに避難した方々は難を逃れることができたが、グラウンドにいた方々のうち10名は、津波とともに流れ込んだおびただしい土砂と瓦礫の中で、後日、帰らぬ人となって発見されたという。
■2011年4月末、僕は、鹿島区ボランティアセンターの派遣で、ちょうど真野川を挟んでこの球場の対岸に位置するSさん邸の泥掻き出しボランティアに従事していた。
「まさか、あんな津波がくるなんて、あのときは誰も想像できなかったんだよ…だから…」
■この球場で起きてしまった悲惨な出来事について語ってくれた家主Sさんの、その悔しそうな口調がいまも思い出される。
■この球場のことについては、福島テレビの取材による以下の番組が詳しい(Youtube)
http://www.youtube.com/watch?v=uyH-5FEewvk
■僕は、あの球場がどうなっているのかを見ておきたくて、夕暮れ迫る中、車を走らせた。
■スタンドへ至る階段のゲートは、ひしゃげたまま。入口やロッカールームのガラスは、割れたまま。屋内の壁は、泥だらけのまま。当時の傷跡が生々しく残る。しかしそれ以上に、瓦礫のすっかり片付けられたグラウンドの、生い茂る雑草のその余りの鮮やかな青さに、僕は動揺し、苦しくなった。

