東北滞在③ 南相馬鹿島区(真野川河口周辺)

7月26日(つづき)

■球場を後にし、より海岸に近い地域へ。僕が初めて「3.11」の被害のありさまを否応無く突きつけられた場所だ。以下に当時の写真を貼る。

真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


真野川河口近く('11年4月)

真野川河口近く(’11年4月)


■初めてここを訪れた当時と比べれば、もちろん、現場はすでに「片付いて」いた。

■混沌として散らばっていた建材・車両・家財その他の瓦礫は大方どこかへ運び去られていた。墓地の倒れた墓石も、いまでは整然と立ち並んでいる。

真島橋'11年4月

真島橋’11年4月


真島橋'13年7月

真島橋’13年7月


11年4月

11年4月


13年7月

13年7月


11年4月

11年4月


13年7月

13年7月


■当時、塩まじりの土砂に黒々と覆われ殺伐としていた地表も、すっかり柔らかな緑色に覆われていた。悲しみと理不尽さ、どうしようもない無力感しか感じさせなかったあの風景は、いまや色と生気を取り戻し、いくばくかの優しささえも漂わせている。

■しかし、3.11以前にここに在ったであろう人びとの顔・声・営みは、2年以上を経た今も、そっくり失われたままだった。

■重たい気持ちを抱えたまま、海岸沿から再び内陸へ戻り、泥掻き出しをしたSさん邸へ。

■当時、瓦礫やら泥まみれの稲藁がべっとりと絡み付いていた生け垣はいま刈り払われていて、代わりに、真新しい板張の塀がぐるりとお庭を囲っていた。トラクターもろともぺしゃんこにつぶされていた納屋は影も形も無く、いまはただ広々とした草地になっている。お庭の中に立ち並んでいた木立や竹やぶも、随分すっきりと整理されたのだな。

■ほんの一時の関わりだったとはいえ、南相馬のSさんの暮らしに新しい生活の気配があったことが、僕にはなんだかしみじみと嬉しかった。