流動体

音楽番組「Love music」を観ました。ゲストは小沢健二。昔オザケンが大好きだったカミさんが録画していたものです。

ぼくはこれまでオザケンに全然興味をもたずに生きてきたのですが、でも、このあいだ、オザケン19年ぶりのシングルCDと銘打って発表された新曲「流動体について」の演奏を「ミュージックステーション」で観ていて「むむ?」と思うことがあったので、この番組もカミさんと一緒に興味深く観ました。

番組は、オザケンのことが好きな著名人へのインタビュー映像(オザケン音楽のどこに惹かれるのか等)と、その映像を見た小沢本人の反応(トーク)を交互に映し出しながら、オザケン音楽の根っこや現状を探っていくような作りになっていました。

登場した何人かの著名人うち、脚本家・三谷幸喜による「オザケン楽曲解説」と、それに対する小沢本人の反応(感想)のやりとりが面白いなと思いました。主に「ことば」に関することでした。

三谷氏は自身の好きなオザケン楽曲として「流星ビバップ」(95年)を取り上げて、「この曲(歌詞)には、どんどん先へ行く、一回も元へ戻らない、サビからサビへ、という気持ち良さを感じる。これは何かに似てる。石川さゆり『天城越え』です」と、例のごとく真面目な顔してちょっとふざけて笑わせた後、歌詞のある部分をピックアップしました。

歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B14024


 〈教会通り…〜…とまぼろし〉
 〈真夏の…〜…キスをした〉
       小沢健二・詞「流星ビバップ」より抜粋引用



三谷氏曰く、「全く意味はわからないんですけど、気持ちがなんとなく伝わって来る、みたいな。あんまり聞いたことのない表現。」と小沢独特の歌詞表現を賞賛した後で、「しかも、僕が注目したいのはですね…」と声に力を込めて言及したのが、一行目の中ほどに登場する〈きれいな月〉という語。

三谷「普通ね、こんなストレートな表現はしない」。

ああ、確かにそうだよなぁ。ぼくは膝を打ちました。

〈火花を…〉〈真夏の果実を…〉というように、芳醇でなまめかしいイメージ世界をそのまま抽象言語化できてしまう人が、何故、それら詩的な調和を破る形で、あまりにもありふれ、あまりにも「陳腐」な〈きれいな月〉などという語を紛れ込ませるのか。もうこれはオザケンの意図、つまり「確信的犯行」以外の何ものでもないわけです。

そうしたオザケンの言葉のチョイスの独自性を賞賛する三谷氏の映像を見終わった後、当のオザケン本人は、三谷氏の言葉の専門家としての感覚の鋭さに感嘆するかのように「すごい…」とため息まじりにつぶやき、こう言っていました。

「“ことば”を三谷さんはよく知っているから、他人のことばの…うーん…(ことばの)中にそのぼくの「動作」っていうか、「どうしてこうしたか」みたいなことがやっぱり見えるんだと思うんですね。

ことばっていうのは「信じることができるもの」というか、きちんと自分がもがいてもがいてちゃんと…「選んで」きちんと「判断」すれば、それが他の人、すごく同んなじようにことばを捉えている人にやっぱり届くんだなということを、思います。〔中略〕 で、いま聞いていて、凄っく、それをピックアップしてもらったことがとても嬉しいです。」

なるほどー。

この三谷・小沢のやりとりを聞いて、ぼくには腑に落ちたことがありました。それは、新曲「流動体について」を初めて聴いた時に覚えた「むむ?」についてです。

ぼくが「むむ?」と感じたのは、歌詞の中の以下の部分、

歌詞 http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-170301-247


〈神の手の
   ………
     を決意するくらい〉
      小沢健二・詞「流動体について」より抜粋引用



の段の最終行に登場する〈良いこと〉。

なんだよ、その〈良いこと〉って。
なんだよ、〈良い〉って。
〈神〉だ〈宇宙〉だとさんざん大きく振りかぶっておいて、とん、と〈良いこと〉を置く。
なんだよ、それ。

でもわかりました。なるほど、小沢健二、そういう人なのですね。ここにこそ顕れるのが彼の「動作」なのですね。

この後も、三谷(の映像)とのやりとり、また、その他の著名人(の映像)とのやりとりが続き、それらの中にも大変刺激的なオザケンの言動がたくさんたくさん詰まっているのですが、きりがないので、詳細を引用するのはここだけにします。

でも、番組全編を通してとても印象に残ったのは、この三谷氏とのやりとりの中でもオザケン自身が発していた「動作」という言葉、そして、動作に対する「代償」という言葉(または考え方)でした。

ああ、小沢健二という人にとっては、「言葉・曲・歌・歌うこと」っていうのは、抽象(抽象行為)なんだけど、でも同時にすごく具体的で、直接的で、肉体的で、いわば「そのまま“生けるもの・こと”(life)」なんだなぁ、ということがよくわかりました。

(表現者と呼ばれる人たちにとっては、そもそもそういうものなのかもしれませんけれど)

三谷との上記のやりとりの中で彼自ら語っていることでもあるけれど、彼にとってことばは、「信じる対象」でもありながら、一方で、もがきあがきを経て「獲得されるべきもの」でもあり、また多分、その中をもがきながら漕ぎ進んで行くべき海原、または這いつくばって歩を進めて行く地平それ自体でもあり、同時に、自らにしか為しえない固有の「動作」を通じて誰かに手渡されてゆくべき「確固たる具象」でもあるのですね。

それを踏まえつつ、番組鑑賞後にカミさんが押入れの中から引っ張り出してきた97年の8cmシングル「ある光」と、長い“空白”期間を経てリリースされたニューシングル「流動体について」を並べ聴いてみると、むっちゃ面白かった。

両曲の歌詞

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=63911


http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-170301-247

「ある光」では、〈東京〉の〈地下鉄〉の〈線路〉を眺めつつある一線(三途の〈川〉?)を越えちゃいそうな危うさを漂わせながらもニューヨークへ向け“get on board”したオザケンが、〈海〉の向こうの〈東京〉とは違う〈都市・街〉での〈暮らし〉(another urban life)を経て、2017年、〈羽田〉へと舞い戻ってきた。抽象でもあり同時に厳とした具象でもあるところの〈流動体〉を〈炸裂〉させるために。〈間違い〉の「代償」を丸ごとそのまま大切に抱きつつ、きっとだからこそ、さらなる代償覚悟で〈良いことを決意する〉などとバカ陳腐に宣言しながら。

ぼくの自分勝手な解釈にすぎませんが、でも、うーん、おもろい。おもろかった。まさに楽曲そのものがlifeです。でも、そうでなくっちゃね。

このオザケンの番組を観る2週間ほど前に、偶然ぼくは、金関寿夫著「魔法としての言葉―アメリカ・インディアンの口承詩」を読み終えていました。

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書名の通り「ことばの呪術性」についても言及している本。なので、なおさらオザケンが「ことば」の話題の中で口にした「動作」「代償」という言葉が印象に残りやすかったのかもしれません。

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ことばは魔法的でもあり、また生で息づく流動体、すなわちlifeでもありますね。オザケンの言葉を借りれば、どんなことばでもできる限り「ちゃんと選んで、きちんと判断して」、あっちの方でもこっちの方でも、生けることばをこそ待ち望んでいる人のところへ、生きたものとして、丁寧に丁寧に届けたいものです。