森へ撮影に行きました。

このところ北海道にはすーっと秋の空気が入り込んできたようで、
少し標高の高いところではすでにオニグルミ、シナノキなどがあらかた黄葉を済ませており、
加えて、カエデやナナカマドの類の赤もぐっと色づきを増しています。

車を走らせながら、森の端にヤマブドウの濃い赤紫の葉叢をみつけると、
ついつい「実はないか…」と目を走らせてしまう、そんな季節になりました。

ただ、ここに載せる写真は、すみません、まだ準備できてません。

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今年お試しで庭に植えたみた小豆も、しっかり自分の季節を歩んでいます。

全体にあまり育ちはよくないものの、豆を孕んだ細長いさやの多くがすでに茶色く枯れていて、
手で振ってみると中からは、カサコソともカラコロともつかぬ、
小豆たちが小さく転がりあう、小気味良くて軽やかな音が聞こえてきます。

そうした実りの成熟の傍で、先日までは青々としていた葉はすっかり役目を終え、
朝ごとに、ぽそりぽそりとじつに潔く地面に枯れ落ちていきます。

小豆がからだの部分部分のうちに備える機能や能力が、
その時々に応じた役割を順繰りに受け渡していくのですね。

そのように、森も、庭も、日々、いや、時々刻々、確実に移ろって行きます。
それが直接的に肌身で感じられる、すてきな季節です。

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数年前からずっと、いつか書籍(写真絵本)にしたいと思っているある主題を温め続けています。

……と言うと何かかっこいいのですけれど、
要は、その主題で企画をつくって編集者に見せてもボツになり、
なんども再考するもののなかなかうまいまとめ方を見出せない、という、
ぼくの力量不足ゆえの「温存」です。

その主題そのものを公にするのは時期尚早なのでしませんが、
それは上記した「移ろうこと」に関係しています。
といっても、紅葉など美しい四季の変化を追った写真絵本ということではありません。
(あっ、それがボツになる一因か……笑)

閑話休題。

草木を見ていると、移ろうことや変わってゆくことについて、とても多く学びます。

草木たちの移ろいには「理(ことわり)」を伴った「十分な時間」や「道程」が必要なのだな、と感じます。

いかにその変化が美しいものに思われ、実りをもたらしてくれるものに思われ、
それを期待するある者たちにとって望ましいものであっても、
もしもその変化が、当の草木たちが何億年かけて培ってきた生命の「理」をはずれたところから、
「理にかなった時間と道程」を伴わない突発的なはたらきかけによってもたらされようとするなら、
それは草木にとっては却って生命を脅かす「圧力」にしかならず、
草木は根・茎・葉ともども実りを伴わずに枯れ果てるでしょう。

秋というこの素晴らしい季節には、森で、庭で、
理の中でちゃんと移ろってゆくいきものの姿を、
草木たちからしっかりと見せてもらおうと思います。

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毎度、ごくごく当たり前のことを当たり前に書いた、芸のないブログで恐縮です…。
が、いま、当たり前のことをこそ当たり前に言っておきたい気分なのです。
お許しを。