薄まりゃ、いいのか。【追記あり】

「海で薄まるから、大丈夫」=「コントロールされている/ブロックされている」。

どの種の理に照らせば、上のロジックが成り立つのか。
じつに不思議。
怒りと共に、不思議。

小1の娘はいま、算数で足し算引き算、
国語でかなカナ漢字習得および作文の学習を通して
数学的思考法と、言語による論理構成と表現・伝達の作法について
基礎を築きつつある。

失敗を繰り返し、悔しい思いも重ねながら、
それでも、いつか「論理的思考のできる社会存在」として成熟するための訓練を
教師や親と共に、日々、積み重ねている。

(少なくとも僕については、
単に“より高次の社会地位を得る権利争奪戦”に勝ち残るための準備として
愛しい我が子の人生時間の多くを学校に託している訳ではない)

この娘に、この子どもたちに対して、
ご立派な高等教育を経てきたはずのネクタイ姿のおじさんたちが
のうのうと詭弁を弄する有り様を、僕は見せたくない。


【追記】

…と書いたら、読売新聞のニュースで以下のような報道が…。

『英語授業は小3から、5年生から正式教科に』
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131022-OYT1T01489.htm?from=ylist

ああ…。

僕たちは、一昨年の“壮絶な痛みを伴う契機”を思い起こしつつ、
すべてにおいて今一度、ちゃんと立ち止まって、
真摯に問い直さなければならないのかもしれません。
「それはいったい、誰のため、何のため」。

でも、人は、子どもたちは、有無を言わさず駆り立てられていく。
「より遠く、より速く、より多く。そのすべてにおいて、より強く。」

でも、そうして追い立てられた先に、ちゃんと
人間は居るのか。いのちは在るのか。血の通うことばはあるのか。
得体のしれない数字記号と、誰かが据えた物差しだけが
ぷかぷかと漂っているだけの虚空ではないのか。

なんだか、胸が押しつぶされそうに苦しく、歯がゆいです。