長い日記をかきます。あの件です。

■ここに書きたいこと、書いたほうがいいであろうこと、たくさんあります。
■先日行った留辺蘂での講演のこと、撮影の事、今日行った講演会の事、その後札幌や長沼であった人々、交わした会話。今読んでいる本のこと。そして、もちろん、娘やカミさんと過した日常の出来事。心に残る、そして、自分のために記録に残しておくべきいくつもの事柄があります。
■しかし、それらに増して、ここに書かずにおれないことがらがあるので、書きます。
■例の、「ろれつがまわらない」件についてです。
■問題は、酒を飲んだのか、それとも薬をのんだんのか、そんなことではないはずです。「あの状態であの場に臨んでしまった」という極めて深刻な「異常事態」そのものが問題であるはずです。それを、当のご本人は、本当にしっかり認識できているのでしょうか。まず、疑問です。
■そして、その問題は、もちろん「ろれつがまわらないくなった」本人が第一に責を追うべき事ではあると思うのですが、それと同等にいましっかりと問われ、検証されなければならないであろうと僕が思うのは、「なぜあの”異常事態”を未然に防ぐ事ができなかったのか」という点です。
■つまり、あの「異常」が発生した現場に居合わせた人間たちのうち、だれもあの状態を「異常だ」と認識し、またそれを指摘し、その「異常」の発生を未然に防ぐ、もしくはごく初期の段階で食い止めることができなかったという事実への、深い懸念です。
■あの「ろれつがまわらなくなった」人には、秘書なり付き人なり、事務方とよばれるような側近がついていたことでしょう。それらの人たちは、いったいあの「ろれつがまわらなくなった」人の傍らについて、いったいどんな思いで彼があの席に座るのを観ていたのでしょう。
■また、あの「ろれつがまわらなくなった」人の横には、現に、二人の関係者が着座し、一緒に記者たちからの質問を受けていたわけですが、それらの人たちは、いったいあの「ろれつがまわらなくなった」人の傍らについて、いったいどんな思いで彼があのような受け答えをする様を観ていたのでしょう。
■そして、ぼくはこの点が何よりも深刻な問題点だとおもうのですが、あの「ろれつがまわらなくなった」人に対して質問を投げかけていた数多くの記者たちは、いったいあの「ろれつがまわらなくなった」人を前にして、いったいどんな思いで彼があのような受け答えをする様を観ていたのでしょう。
■僕には、あの本人もそうですが、その周りにいた人間の、「異常」への感度のあまりの低さに、驚きを禁じ得ません。
■特に、本来ならば、社会全般におけるある状態をいち早く「異常だ」と認識し、またそれを指摘し、ときにはその異常の発生を未然に防ぐベくして”ペン”をもち”カメラ”をもっているはずの「記者」と呼ばれる人たちが、それを出来なかった、否、”しなかった”ということに、決して笑ってすませられない、この国が抱える問題の深さを感じずにはいられないのです。
■僕は最近特に強く、この日本という国が抱える諸問題を本気で「根本治癒」(あまりいい表現ではないですが…)するためにまず為すべきことは、2つあるだろうと考えています。
■それは「天皇制の検証」と「メディア考・ジャーナリズム考」です。そのどちらをも、真剣に、決して逃げ道を作らず、徹底的にやらないことには、経済問題だろうが教育問題だろうが、この社会が抱え込んでしまっている多くの問題が本当に”完治”する可能性は極めて低いだろう、と思っています。
(どこかの新大統領が「ニッポンの失われた10年」に言及したと喜んでいるどころの話ではなく、現状の「失われたままの”64年間”」は、もしそれらの検証と考察をしなければ、未来永劫、大事な部分を失い続けることになるのだろうと思います)
■今回の「ろれつがまわらなくなった」件は、特にその後者の必要性を改めて感じさせる出来事でもありました。
■メディアとは、ジャーナリズムとは一体何なのか。
■僕は、今回の件に関するメディアのあり方に、とても薄ら寒いものを感じます。それは、例の「秋葉原事件」の際に、刺された被害者を遠巻きに”写メール”している何人もの通行人達の姿、振る舞いを観てしまったときの薄ら寒さによく似ています。これは、考えすぎでしょうか?
■この際ついでに言ってしまえば、件の”青いドレスを着た外国の国務長官”を見つめるメディアの眼の在り様も、別の意味で薄ら寒い。
■彼女が就任後初めての訪問国に日本を選んだ。それは、報道するに値するかもしれません。
■しかし、やれ明治神宮にいっただの、玉ぐしを納めただの、皇后と見詰め合って微笑んだだの、移動中の車の中から沿道の観衆ににこやかに手を振っただの、それを観衆が感激しながら見送っただの、「素敵な女性でした!」「彼女はスピーチが上手いですね」だのを(そして、ご丁寧にも、彼女がそのあとどんな様子でインドネシアに行っただの)を逐一”報道”している時間があるならば、その時間や取材労力を割いて、なにか他にもっとメスを入れるべき大事な事柄がわたし達の周りにはあるのではないだろうか、とも思えて仕方がありません。
(こうして日記で鬱憤晴らしをしているくらいなら、他に写真家としてなにかやる事があるだろう!というご批判は甘んじてお受けします)
■でも、あの国務長官にまつわる報道の半分以上は、実際のところ、釧路川に現れたラッコのくーちゃんレベルの”報道”だと思えてなりません。
■ついでのついでに、あとひとつ、話は前後しますが、書いてしまいます。
■僕は、あの「ろれつがまわらなくなった」人が口にする「入院しますんで」ということばを聞くたびに、なんだか、もう、言いようの無い腹立ちを覚えるのです。
■彼が所属する政党が推し進めた医療制度”改革”を経て、この社会の医療にまつわる現場に何が起こったのかを、彼はしっかり認識した上で「入院します」と口にしているのでしょうか。
■医療費負担の増加で、入院どころか、通院でさえも”躊躇”せざるを得ない、たとえば高齢の低所得者たちの現状を、彼は踏まえているのでしょうか。
■医師不足の深刻化で、特に地方においては、安心して治療を受ける機会自体が失われ始めているという現実を、しっかり認識しているのでしょうか。
■健康保険制度の不備や”崩壊”が、折からの社会貧困化と相まって加速し、大人も子どもも、無保険者が増加しているという問題の深刻さを、彼は認識しているのでしょうか。
■つまり、本当に医療を必要としている人が、制度の”改革”の余波で、現実問題として医療を受けられないでいる状況が生じつつある現状を、十分に考慮できているのでしょうか。
■この国が微熱に浮かされていたあの頃に、「人生色々だが、いまは痛みに耐えてっ!感動!」とゴキゲンなカレが絶叫していたその”痛み”が、今本当に社会をすっぽりと包み込んでしまっているという現実を。
■さらにいえば、”メタボ、メタボ!”と、メディアと食品業界を巻き込んで「流行語」よろしく騒ぎたて、さも「生活習慣における不摂生が病気を招き、それが財政を圧迫している」とてもいいたげな”自己責任”的雰囲気を演出し、あげくに「健康管理ができない方が悪い!だらだら飲み食いしている連中のためにオレは保険料払ってるんじゃないぞ!」などという理屈を振りかざしているのは、一体だれのお仲間でしたか。
(ついでに…。”エコロジー”にしても、なぜか最後はレジ袋だアイドリングだペットボトルのリサイクルだと、じつにちまちました「生活習慣」のせいにさせられちゃう…)
■「オレが入院するのにそんなに文句をいうなら、入院治療費は全額オレが自己負担する。文句無いだろ!」とでも言われそうです。でも、彼のお財布に入っている”自分のお金”とは、彼の入院で病院に支払われる入院費というものは、いったいどこから来たのでしょう―――。
■「人間、”後期”にさしかかったら、あんまり人に迷惑かけるんじゃないよ」と今ある生を否定されながら生きざるを得ない人々――、医療を受けるのを躊躇せざるを得ないにも関わらず、うすぺらい財布からなんとか保険料や税金を搾り出している人々――それらの庶民の痛み・苦しみ・切なさを全部その身に背負う覚悟をもちつつ、件の「ろれつがまわらなくなってしまった」人は、「わたくし、入院して、ゆっくり予算を練りたいとおもいます」というようなことを口にしたのでしょうか。
■もちろん、もしも本当に、もうどうにも明日の日常生活に困るほどに疲労や腰痛や風邪の症状がひどいのであれば、薬を2倍以上も飲むなんてデラタメはせずに、ぜひすぐにでも入院して頂きたい。
■でも、自宅治療でもいいんだったら、そうしていただきたいのです。いや、いっそのこと「公務員」から身を引いて、北のふるさとで心身ともにゆっくりお休みいただきたい。
■…と、そういいたくなるくらいに、どうにもあの「入院します」の”軽さ”(そして狡さ)が気になって仕方ないのです。
■あーーーーーー、書いた。
■毎度の事ですが、もしも別の内容(自然写真家の自然写真家らしい日記)を期待なさってこのサイトを訪ねてくださっている方には、本当に、こんな日記ですみません。
■しかし、冒頭にも書きましたが、書かずにいられません。これは僕の病気です。入院した方がいいのは、本当は僕の方かも知れません。ですが、自宅にて自己責任における摂生・精進に徹しますので、どうぞご容赦を。