長女の絵 【親ばか注意】

■今日も一日執筆だ。昨日の荒井良二さんの創作姿勢が、参考になっているような、全然なっていないような…(笑)。でも、本の構成や文章が次第にいい具合に「削れて」きていることは事実だ。まずは編集者にどう読まれるか、それが問題ではあるが。
■さて、表題の件。
【ご注意:以下の文章中には過剰な「親ばか表現」が含まれるため、閲覧中に少なからず気分を害する場合もございます。充分にご注意ください】
■下の画像は、長女が書いた「お遊戯会の絵」。9日に保育所で行われたお遊戯会を思い出しながら書いたのだと。
071211保育所お遊戯絵

■ステージ上でお友達と踊る長女。ステージ下でそれを見ているのは、母と妹。なんてことはない思い出のワンシーンだ。
■しかし、昨日保育所の教室でこの絵を見て、僕は「むむーう…」と唸ってしまった。長女はいつの間にこんな絵を書けるようになったのだ…。正直、驚いた。
■というのも、その画中の登場人物や事物の関係の描き方が、なんと「三次元」だったからだ。こんな絵は、長女の書いたものとしては、僕ははじめて見た。
■本来、絵を比較して論じることはナンセンスであり厳に避けるべきことだが、しかし、ここはあえて他の子たちが書いたものと長女のものを見比べてみた。
■すると、1歳上のクラスの子供たちも含めた他の全ての子が、観客席とステージ、また画中に登場する人物の位置関係を並立で平面的・二次元的に描いているのに対して、長女の絵だけが前景と後景が重なり合った三次元表現で描いていることがわかった。
■なによりも、この絵の三次元構図を支えていて、またこの絵をもっとも特徴づけている要因であるところの、ステージを見つめる母と妹の「後ろ姿」。そこに僕はビックリした。
■観客席で観覧する自分の家族を絵に書き込んでいる子たちは他にもたくさんいた。大好きな家族が観客席から自分の晴れ舞台を見守っていてくれることほど子供たちにとってうれしい事はないだろうから、その気持ちを絵に表したくなるのも当然だ。
■しかし、多くの子がその家族をも自分自身と同じ「正面像」で描いていた。つまり、画中の全ての人物が笑顔でこちらを向いていた。それに対して、長女の絵はまったく違っていた。
■あたかも「別の自分」が会場全体を俯瞰しているかのような視点で、ステージ上の人物と観客席の人物を対面する構図で描いている。つまり、ステージ上の自分も、またそれを見守る家族も、その関係性もろとも客観視して描いているのだ。
■お遊戯会のあと、長女自身、母と妹が見てくれて嬉しかった!と、本当に嬉しそうに言っていた。きっと長女の中にも、他の子同様、ステージ上の自分を見守ってくれていた母の「笑顔」は、嬉しさの感情とともにしっかりと焼きついていたことだろう。
(だからこそ、多分彼女は、母の頭部を先ず始めに画用紙に書き出したのだろう。それが画用紙の中心にあることや、ステージ上の自分自身の姿がいささか寸詰まりになってしまっていることでそれが見て取れる)
■しかし、その内面感情や映像記憶をのり超え、また、これまで彼女自身が慣れ親しんてきた「人物像は正面から、顔を第一に描く」という作画法も突き抜けて、彼女は愛する母と妹をあえて「後ろ姿」で描いた。「客観的な関係性」を見事なバランスと作画で描いてみせた。
■自分と他者との関係性、そして、それを俯瞰で見つめうる「第3の視点」の存在。つまり、意味的にも三次元であるところの絵を、彼女は書けるようになったのだ。
■僕はなにも物事を客観的に描けるようになることのみが表現上の「上達」だとは思わない。長女の年齢でこうした表現ができることが「早い」のか「遅い」のかも分らないし、そのどっちだって構わない。また、先述したが、他者との比較で表現の仕方を云々するのは最大のナンセンスだとも分っている。
■でも、長女にとってこの絵が明らかに「新次元」の絵であることは、親である僕が一番良く知っている。長女の世界を見つめる眼、そして表現する心と手が、また少し奥行きを増したのだ。人間の成長を目の当たりにした一枚の絵でありました。
■もちろん長女には、父からの過剰なほどの賛辞をこれでもかと言い与えた事は、言うまでもありません。はい、親バカですから。