長沼、札幌、長沼

■14日は長沼町の絵本屋ぽこぺんでスライドトーク。小さな店舗の2階に20名を超える方々が詰め掛けてくださり、盛況。苫小牧や深川からも。有難うございました!
■トークの内容は主に「だって春だもん」について。この本に込めた思い、制作意図についてお話をさせていただきました。
■終了後、ぽこぺん店主Uさん曰く「参加された皆さん、とても喜ばれて帰っていったわ!」とのことで、ひとまずホッと一安心。
■でも…個人的には、トークにおける自分の振る舞いについて、あれこれ思うところ大。それは、”反省”というのとはまたちょっと違うのですが、まぁひとことでいえば、「自分、喋りすぎなんじゃないかなぁ…」と。
■本は、ひとたび出版されたら、あとは読者に一切を委ねるもの。そのことを忘れて、作者自らが「この本には、ほんとはこんな意図が秘められていて…」などとあまりにも細かに解説をしてしまうのは、読者が本を読み解く楽しみを奪う事につながらないだろうか…そう思った次第。
■「伝えるということ」と「伝わるということ」のあいだ、また、「伝えたいこと」と「伝わってゆくこと」のあいだにあって然るべき、適度な「距離」または「余地」。その距離感を見誤らないこと。大事なことだよな。
■そもそもの表現物としての写真絵本というものについても、やはり同じように考えてしまいます。
■これは所属するある団体の機関紙にも最近書いた事だけれど、つまり、自らの内にかっかと燃える”伝えたがる自意識”をどれだけ本の中のことばと写真とに”委ねる”ことができるか。
■ひっくり返して言えば、書かれたことばそのもの、提示された写真(風景)そのものが”小寺卓矢”という存在を御するに任せられるかどうか。
■じつにチンケで半端で未熟極まる「自意識」だけれど、まぁそれだけに、ことばや写真にそれを「任せたぜ!」と託しきるというのは、本当にむずかしいことで…
■まずは、真に包容力のあることばや風景とに、ひとつひとつ確実に出会ってゆく、ということだろうなぁ…。
■むずかしいなぁ…
■今日15日は、札幌市内で某FM局の制作Fさんと打ち合わせ。局主催の8月の楽しみなイベントについて。詳細決まったら後日紹介します。
■午後は再度長沼ぽこぺんへ行き、2週間展示させてもらっていた写真展の撤収。
■お客さんとして来られていた南幌町のKご夫妻と、ご子息のことなどで、不思議な出会いを喜び合う。
■また、北広島のM夫妻、長沼町内のN夫妻とも久々の再会。それぞれのやり方でしっかり前を向いて生きている方々とのひと時は、何気ない会話であっても、じつに嬉しいものだなぁ。会えてよかった。
■そしてもうひとり、撤収間際に偶然訪ねてこられた某農業雑誌営業のOさんも、本当に素敵な人でした。身体中からきらきらとバイタリティが溢れた女性。なんだか、花が咲いたよう。
■なんといっても、お名前がまた素晴らしい!これまでサイン会などで本当にたくさんの方々の名前に触れてきましたが、Oさんのお名前はこれまで出会ったことがありません。
■シンプルで、凛として、ある種の尊厳に満ちていて、「”世界”へ向けた正のベクトル」のようなものを内包しながらも、それでいて「ぽっとヒトの血が通う暖かさ」をもっていて…。苗字もあわせると、そこにひとつの物語まで生まれそうで…。
■お花のようなOさんにも、そのお名前にも、まさに一目惚れでした。
■そうそう、15日発売の季刊「faura」に、小寺が先日おこなった徳島での講演と松山でのデジカメワークショップのレポート記事が掲載されています。ぜひご覧下さい。