不定期日記

マスキング

大工仕事をしていて思う。ペンキ塗りやコーキングの要諦は、マスキングにあり。
間違いない。うーん、いいこと学んだぞ。今日も小さな自己満足(笑)。
マスキングとは、仕上がりをピタッ!とキメるために、一度、作業周辺部を覆い隠してしまうこと。
なんだか、その「見せる部分」と「見せない部分」との間に明瞭な境界を設けて“フレーミングする(型枠を設ける)”感覚って、どこか「写真」に似てるな……。
ふむ、なるほど、なるほど。
思えば、俳句など定型詩も、ある明確な「枠」の中に世界を凝縮・封入してピタッ!とキメるという意味で、まさにマスキングをしているのかもしれん。なるほど、なるほど。
ただ、ここで勘違いを犯してもいけない。
マスキングは、隠蔽した部分をそのまま「無きもの」とするために行うのでは無い。むしろ、マスクによって隠蔽された部分の存在価値を純粋な状態に保つためにこそ行われるものである。塗装にしろコーキングにしろ、マスキングテープは作業終了後きれいに撤去され、隠蔽されていた部分は(場合によってはマスキングされる以前よりも)鮮明に露わにされる。それが前提だ。
一方、写真や俳句のマスクは撤去されない。でも、写真や俳句は、マスクすることを通して、あえて隠蔽してある部分の存在やその価値を鑑賞者の胸の内に想起させ、「見せられていない世界」を鑑賞者の中に浮かび上がらせる、という類の表現行為でもある。ここでもやはり同様に、じつは、敢えて露わにされなかった部分が大切なのだ。
なるほど、なるほど。
「いま敢えて見えなくされている部分」が大事なのだ。だから、作業が終わったらマスキングテープは残さず撤去されなくてはいけない。もし作業者の意図で作業後もマスクが撤去されないことが前提とされているとしても、我々自身が己の想像力をもって、隠蔽された部分に思いを馳せよう。