不定期日記

本の紹介「学校でしなやかに生きるということ」

本の紹介!
「学校でしなやかに生きるということ」   石川晋・著(フェミックス)

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ここ数年来、学校現場での写真活用実践の取り組みをご一緒している中学校教諭・石川晋さんから、石川さんの新刊著書が届きました。じつは2週間くらい前にはすでに読み終えていたのですけれど、落ち着いてその感想を書くことがなかなかできずにいて、今頃の紹介となってしまいました。
この本は、「くらしと教育をつなぐ【We】」という雑誌に石川さんが連載していたコラムをまとめたものです。
著者の石川さんは、上述の通り、中学校教師。北海道内の各地の公立学校で20数年間教師として活動してきました(現在は、僕が住む芽室町の近隣町である上士幌町の上士幌中学校に在職)。本書では、石川さんがこれまでの教師生活の中で実践してきた取り組みや、その中で経験したエピソードなどがふんだんに紹介されています。
ただ、とても印象的な本書のタイトルを見ればわかるように、この本は、例えば「こうすれば教師の学級経営力が上がる」とか「これに取り組めば生徒の学力をアップさせられる」とノウハウを具体的事例で示していくような、いわゆる「HOW TO本」ではありません。
本書はむしろ、そうしたHOW TO云々以前の、「子どもたちにとって学校とは、学びとは何なのか」とか、「子どものみならず教師や社会にとって公教育とは何なのか」という本質的な命題を、石川晋という一教師の実体験や個人史の振り返りの中で考え見つめ直してゆく、そうした内容になっています。
クラス担任また国語科担当教師として折々に経験してきた生徒たちとの交流の様子、授業づくりや学級づくりの実践の様子、その中で得られた発見や気づき、また“教育界”における同職者(教員、教育関係者など)とのやりとりに感じる所感が、ときに批判的、自省的、建設的に、また随所で赤裸々に、個人的な実感として述べられます。
一年間の育児休暇中の私的な経験に照らし返して学校と教育を考える章や、同世代の教師同士のざっくばらんな対談なども含まれているので、僕のような教育界の専門的な素養のない門外漢でも、肩を凝らずに読める構成になっています。
本書を読んで第一に僕の印象に強く残ったのは、彼の様々な事象へのアプローチの仕方やその根本思想が、改めて、実にユニークに感じられた点です。もちろんここでいう「ユニーク」とは、「面白おかしい」という意味ではなく、本来の字義通り「他の多くの場合と比べて、独特である」という意味です。
彼が本書中で示す「学びとは?学校とは?生徒とは?教師とは?」という問いへの彼なり返答やその実践アプローチは、これまで僕が人生の中で経験してきた「学校・学級」という場における「教師・学友」との関係性のあり方、そして何より「学校で学ぶこと」そのもののあり方から鑑みるとき、軽いショックを受けざるをえないようなものばかりです。
「え?そんなやり方でいいの?そんな考え方ってありなの?」と。
日々の「勉強」のことにしろ、成績のことにしろ、生徒指導のことにしろ、修学旅行のことにしろ、学級通信のことにしろ、生徒同士のトラブルのことにしろ、不登校のことにしろ、(物理的空間としての)教室のことにしろ、そして「教師と生徒」という関係性のことにしろ、いままで僕が「こうあるのが当然」と思っていた既成概念が、ぽろぽろと突き崩されていくような感じです。
まあ、これはあくまでも、僕の個人的な経験にのみ照らしての感想ですので、もしかしたら、石川さんのようなアプローチや考え方で教育(公的学校教育)に向き合っている先生や取り組み事例は、他にいくらでもあるのかもしれません。
または、たんに学生時代の僕が鈍感で気づくことができなかっただけで、じつは僕がこれまで関わりを持った世界の中でも、石川さんが示して見せるようなアプローチに触れる機会はいくらでもあったのかもしれません。
ただ、本書の中で石川さんが分析し、ある種悲観的に把握しているごとく、これまでの、また今現在の「メインストリーム」(もしくは「制度的に正統」)と見なされている「公教育観」や「公立学校における教育の作法」からすると、石川さんがこの20数年間の試行錯誤で組み上げてきたアプローチ作法というものは、明らかに(現在においては特に)「少数者」によるある種のチャレンジであることが伝わってきます。
表現が適正であるかどうかはわからないけれど、僕の目には「(公立学校教育の世界における)異端者による、アンチテーゼの実践的な提示」であるように映ります。
先にも触れた、じつに印象的なタイトルである「学校でしなやかに生きるということ」という書名からしてすでに、暗に、しかしある意味で如実に、それを物語っています。
つまり本書は、現在の「学校」においては生徒にとっても教師にとっても「しなやか」にあること、またそのようにそこで「生きる」こと自体がえらく困難なのである、と言う“現場報告”でもあり、また、その現状に対する、それこそ“しなやか”なプロテストなのだと感じられます。
僕のごとき、小学校から大学までの「被教育時代」(←この表現の中にすでに自嘲を含みます…)においてさしたる疑いも持たずただメインストリーム(本流)にのほほんと身を任せてきてしまったような人間にとって、本書はじつにたくさんの刺激に満ちています。また、実際に中学生の娘を“学校へやらせている”立場の親としては、時折「ウッ…」と自戒自責の苦さを味わわざるを得ない本でもありました。
ところで、余談ながら、僕は大学時代のさまざまな出会いの中で、思い切って「本流」から外れることを決意し、非常にマイナーな「支流」に迷い込むことになりました。で、いま、そのえらくちっちゃな支流の浅瀬であっぷあっぷ溺れかかっているという救いようのなさなのですが(笑)、しかし、支流には支流の素晴らしさがあるのだなぁと、いま改めて思わされます。
比喩的に言えば、たとえば…
山間の細い支流を流れる清水の透明さと清洌さ。
瀬や淵の多様な表情。
流れを遡ってゆくときに刻々と移り変わってゆく風景の新鮮さ。
でこぼことした岩陰や河畔の茂みの陰に感じ取る様々な生き物たちの気配。
そして、
水と風の中に次第に強く感じられてくる「源泉」の間近さ。
 …でしょうか。
本書の文脈からはずいぶん離れてしまうかもしれないけど、たとえばそうした諸々の感覚を、総じて「しなやか」と称してみても、いいかな、石川さん。
まあ、僕の情けない体たらくとナルシスポエム紹介(笑)はさておき、ぜひ本書で、石川晋という人の取り組みや思いに触れてみてください。一人の教師の試行錯誤と、彼が彼の視座から望み見ている展望の中に、僕らのように教育界に専門的にかかわらない人もなお、幾つものヒントと希望を見出せるように思います。
・・・・・・
石川さんとはさまざまなプロジェクトを通じて個人的な付き合いもあるので、ご当人のことをSNSなどの公の場であまり詳しく評価するのもなんだかちょっと気持ち悪いのですが(この文章も多分すぐにFBで本人に読まれるし…)、この石川さん、僕がこれまで出会ってきた「学校教師」と称される人たちの中では、考え方にしろ実際の取り組みにしろダントツにユニークで、「世の中にこんな先生がもっとたくさんいればいいのになぁ(でも、全員が石川晋だったらちょっと困る…)」と思わずにいられない、僕にとっては、面白い、ちょっとイカした先生の一人です。(「し」を「レ」にしないでね。笑)
講演やセミナーなどで全国各地津々浦々を飛び回っているので、もしどこかで出会う機会があれば、ぜひ。
そして、すでにこのブログでも何度か紹介していますが、いま、石川さんと石川さんが受け持っていたクラスの生徒たちとの共著で、写真絵本を刊行予定です。そちらについても乞うご期待!