■昨夜遅く、NHK「SONGS BESTセレクションII」をみた。これまでに出演した歌手の代表曲演奏のオンエア映像を選りすぐり編集した総集編だった。
■僕は単に、矢沢栄吉と布袋寅泰のいわゆる”コラボ”が観たくてテレビをつけていたのだけれど、他の歌手の演奏にもつい引き込まれて、結局全部を観てしまった。
■出演者の一人である徳永英明も番組中で言っていたが、「歌ってすごいな」と、僕は思った。そして、歌を紡ぐ人間の精神、それを外界に発する人間の肉体、つまり”歌を歌う生き物”である人間存在そのものに対して、「あ、すごいな」と思った。
■「ことば」はそもそも本質的に”有限”で、つまり、思い切った言い方をすれば、世界に対してあまりに貧しい。でも、それが”うた”となったとき、不思議なことに”ことば”は、有限性をそのまんま帯びたままで、世界の高み・深みの極みまで軽やかに飛翔する。
■そうした”うた”を生み出し紡ぎつづけてきたこの人間という存在の不思議とすごさを、たかが”J-POP番組”ではあるけれど、僕はなんとなく感じてしまったのだ。
■最近クラシックの声楽曲をよくきくのだけれど、それらを聞きながら思いつづけていることがある。それは、とても乱暴な言い方をすれば、”うた”って、写真も含めたあらゆる「表現行為」のなかで最も濃密かつ純粋かつ高度に世界と繋がり得る媒体なのではないか、ということ。
■なにより、「身体性、一発」っていうのが、すごさの由縁だろう。ときどき「ある意味で、写真は到底歌にはかなわんな…」などと思ってしまうこともある。比べることのナンセンスを分りつつ。
■…うーん、自分でも何を書いているんだか分らなくなってきたぞ…。
■でも、やっぱり、歌は凄いよ。そして、歌を歌う人間は、すごいよ。と、そんなことを思いながら過した、素敵なTV鑑賞の1~2時間だった。
■それに比べて…
■今日、某所で過した2時間は、ちょっと疲れた。同じく、”人間”の肉体から発せられることばに2時間さらされつづけたのではあるが…。
■ただ天上の声に耳を澄まし、理想をのみ語り、霞を食らっているだけでは、きっと生きてはいけないし、そもそも世界は清濁まざりあってはじめて成立するもの。それはそれでわかってはいるのですが…。