DM、メール、わたしとあそんで

■昨夜は夜更かしして、函館で行う写真展のDMハガキ入稿データを仕上げた。印刷屋にWEB入稿をして、あとは仕上がりを待つだけ。でも、レイアウトに思いのほか時間が掛かってしまって、結局、床に着いたのは午前3時だった。
■今日はいつもより少し遅めに起きた。やはり、ねむい…。日曜日という事で、娘の保育所送りが無いのが助かる。しかし、朝食は必ず皆でそろって食べることにしているから、昼前までだらだら寝ているなんて独身時代のようなことはできない。
■うーん、2度寝したい…。でも、今はとにかく溜まった仕事を片付けるのが先だ。眠気を制して、机に向かう。そんな僕に気を使い、カミさんは娘達を連れて、同じ町内にある彼女の実家に遊びに出かけてくれた。長女も1週間ぶりにジジババに会えるので大喜びで出かけていった。
■午前中は、講演を依頼してくれた学校PTA関係者へ送る資料作り。これもなんだかんだと時間が掛かってしまった。もって手際よく出来ないものか…。自分で自分を責めてみる。
■あとはひたすらメール打ちだ。仕事の件にプライベートの用事…いろいろありすぎて、誰に何を送信すべきなのか分らなくなりそう。でも実際に文字を打ち込み始めると、どうしてもあれこれ「おしゃべり」もしたくなってしまう。特に、日頃からお世話になっている人にはなおさら。で、やはり、とっても時間が掛かってしまう。だめだなぁ…。
■昼食は、ジジババのお招きで、僕もカミさんの実家でとることに。僕が着くと、娘達はすでに食事をすませてジジと遊んでいた。カミさんと二人で、ババの作ってくれた美味しい手料理を食べる。その美味しさもさることながら、献立に頭をひねることも、作ることも、食器洗いもしなくていいことの、ああ、なんというありがたさ!しかも、食後は六花亭のお菓子付きだ。ひとときの幸せを味わう。
■食後、長女と庭に出て遊ぶことにした。といっても、実際には遊ばなかった。娘はひとりでもくもくと庭の雑草をむしり始めたのだった。庭をきれいにしようというのではない。イネ科系の雑草の花穂を「これ、小麦なの!」などと適当なことをいいながら楽しげに収集しはじめたのだ。
■彼女には、どうやらそんなことがとても楽しいらしい。ひたすら同じ草の花穂をむしっている。ふーん、一体何が面白いのやら…。僕は、彼女から2m程離れたところでその様子を黙って見守る。そしてそのうちに、僕は僕で、黙って見守るということがじつは結構素敵で楽しい身の処し方なのだと、密かに気付いてしまった。
■静かな庭に、涼しさを孕んだ9月の風が気持ち良く吹き抜けてゆく。僕らは互いに黙ったまま、それぞれのやり方で静かな時間を楽しんでいる。うん、なかなかいい時間じゃないか…。僕は心の中でつぶやいてみる。こうした時間とか、空間とか、なによりもこうした関係を生活のなかでもててるってことが、親にも子供にも、きっと大切なんだよな…。
■ふと、マリー・ホール・エッツの「わたしとあそんで」を思い出した。自然の中で至福の時を過す女の子と、それを終始ニコニコと見守りつづける太陽。僕の好きなあの太陽のように、ほんのひとときでも、この僕自身、ニコニコとそこに佇んでいることができたかな。
■うん、なかなかいいじゃないか、こういうの。
■地域を超え、思想を超え、文化を超え、ましてや国境なんていうものをはるかに超えて、普遍的に護られなければならないほんとの「美しい○○」が、ここにこそあるのかもしれないな、と思う。
■エッツが子供の世界への「不可侵」を示すかのように、作品のクライマックスに、画中に敢えて強い筆致でトゲトゲとした有刺鉄線を書き込んだ気持ちが、いまはとても良くわかる気がする。
■この美しき世界に、僕らは、劣化ウラン弾も、クラスター爆弾も、原爆も打ち込んではならないし、他の誰かの手によって打ち込ませてもならない。また、そのつかみどころのない(しかしそれゆえの)美しさを、例えば株価に換算するなんていう浅ましい価値観も、決して持ち込んではいけない。