不定期日記

いろいろ、美しい。

秋分の日です。
一年の節目の日ですが、ぼくにとっては、きょうはあれこれ片付けの日でした。
いつもの通り、以下、どうでもよいことを無駄に長々と記します。
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今日の午前中は、次女の小学校の「秋の環境整備」に参加。
校外の清掃やビニールハウスの片付け作業です。
娘も参加したのですが、あろうことか、
ろくに作業もせずにもっぱら同級の友達と栗拾いに興じていたそうです。
校庭の中庭の大きな栗の木の下で「あった!あった!」と楽しんできたと。
まあ、いいか。許す。
友達と無邪気に栗拾い。いろんな意味でいまこの時にしかできないことだ。
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しかし、栗の実って美しいなぁ。栗の実拾いも実際楽しいよねぇ。
どちらも本当に貴い「宝」のようなものかもしれません。
午後は自宅で、物置改修の廃材の片付け。
バラした古い木材からサビ釘を一本一本抜き、
板材も角材も丸ノコで30-40cmくらいの長さにひたすらぶった切ります。
何かの折に薪として使えるように。
30年以上もほぼ剥き出しで使われていた材なので、
その表面は風化と変色が進み、すっかりくすんだ灰色。
でも、丸ノコがスパッと切落とした断面を覗き込むと、おお、材の内部はさにあらず。
角材も板材もその多くが、まるで製材したばかりのように、
切り口から白太の艶々とした輝きを放っているではないですか。
カンナさえかければまだまだ使えそう。年輪も鮮やか。
木って強いものだなぁ。そして、木ってやっぱり美しいなぁ。
生物体としては「死んでいる」のでしょうが、材という形でちゃんと「生き」、輝いています。
木はすごい。
また午後には町内の知人がうちに寄ってくれ、
「処分に困っているから…」とハネモノのかぼちゃをたくさん置いていってくれました。
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表皮に固く変質した部分があったり、色が悪かったり。
でも経験上、そんなの味の良し悪しには関係ありません。
十勝のかぼちゃはハネでも本当に本当に美味い。
見た目じゃ無いんだよ、形じゃ無いんだよ、正規だとか規格不適合だとかのレッテルじゃ無いんだよ、味が“美しい”んだよ。
芽室に暮らしててよかったなぁ。芽室って、ステキなまちだなぁ。
笑 こういう片付け(処分)は、もう大歓迎です。
夕食後は、今年初めて畑に植えてみた黒大豆の脱穀作業です。
時期的には、豆を収穫するにはかなりのフライング。
じっさいまだ「半枝豆状態」の実も多いのですが、
夏場に枝豆で食べきれなかった残りで量も少ないことから、
思い切って全部片付けてしまうことにしました。
外は雨だったので、物置の中にシートをひいて作業。
さやを割って豆を落としてゆくのですが、脱穀機なんて便利なものはありません。
一さや一さや手作業です。
正直、ものすごく非効率でめんどくさい作業です…。
でも、そこはスピッツを聴きいて心を安らかに保ちつつ(笑)、延々、ひたすら、手を動かします。
で、発見。というか、今回初めて知ったこと。
黒大豆って、枝豆の状態から乾いた大豆になる過程で、
「黄緑→クリーム色→鮮やかなピンク→薄紫→濃い紫→黒」と徐々に色を変えて行くんですね。
夏に枝豆で食べたとき「あれ? 黒大豆を蒔いたはずなのに何で緑なの?」と不思議に思ったのですが、なるほど。
アントシアニンが描く鮮やかなグラデーション、美しいなぁ。
栗も古木材も美しいけど、黒大豆だって美しい。
さやの中での豆の色の変化なんて、これまで関心を持つことすらなかった。
まあ、よく考えれば、実が徐々に色づくなんてのは当たり前のことだし、
はっきりいってこんなこと知らずとも日常生活には何の支障もないこと。
知っている「必要」が無い。
でも、それがどんなに些細なことであれ、知らなかったことをこの目で見、
手で触れる経験を通して知れたことそれ自体が、何だか嬉しい。
「知らないでいる何か」、つまり「これから知り得る何か」が自分の暮らしの中に
まだまだいくらでもあることを身をもって知れたことが、嬉しい。
まだまだ、知れる。
収穫をフライングしたことも、かえって良かったのかもしれません。
あと、手作業でやったことも良かったのかもしれません。
そう、手作業のおかげでさらに大きな発見もありました。
「手間暇を考えたら、大豆は店で買ったほうがだんぜんお得!」(笑)
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今日はそんなこんなで、いろいろ片付けつつ、
いろいろ気づき、いろいろ確認することのできた一日でした。
一日って、いいなぁ。一日も、美しい。
ちっぽけな自己満足にすぎないかもしれませんが、こうして一つ一つ振り返れば、
一日のうちに起こったあれこれがちょっとした「宝」のようにも感じられます。
今日も、とても良い日でした。
さて、明日からは、北半球ではだんだん夜が長くなり、
北海道にはいよいよ「寒さ」が忍び寄ります。
でも、南半球のみなさんにとってはだんだん昼が長くなってゆくのですね。
どうか、この星のどこに生きていようと、
それぞれの場所でそれぞれに生きる人たちの明日が、宝物のような一日であるように。
くだらない罵り合いと蔑み合い、虚栄心のぶつけ合い、不安と恐怖と扇動で人間を分断・差別し、
腕力や権力やセコいまやかしで人間をcontrolしようとする情けない蛮行が、
ほんとうに一刻も早く終わるように。
どこかの子どもが、美しい栗の実ひとつ、笑顔で見つけられる明日であるように。
さて、寝ましょう。