不定期日記

アラート

Jアラートがなり、テレビをつけたら、HBC(北海道放送)で
「ミサイル発射された」「北海道から太平洋へ通過した模様」と興奮した声で報告していた。
しかし、そのテレビ画面の背景は、かなり長い間「LIVE 岩手盛岡」とのキャプション付きの、
どこかのビルの上から盛岡市内を見下ろしているであろうライブカメラによる
フィックスの風景映像のままである。
不思議に思った。
なぜずっと、ライブカメラの、フィックスの、街並みの映像を背景にして報道をするのだろう。
なぜ北海道ではなく盛岡なのだろう。
この映像は僕らに何を伝えようとしているのだろう。
もしくは、この映像を放映する側の意図はなんだろう。
何かを“予期”または“期待”してるのかな? 
それとも、何かを“連想”させたいのかな?
興奮しながら一生懸命報道するアナウンサーには申し訳ないのだが、
ぼくはついそんなことの方に関心を寄せてしまった。
こんなことでは、平和ボケの、国を憂えぬ非国民と非難されるだろうか。
あ、官房長官出てきた。
追記:
「アラート」で、「頑丈な建物、できれば窓のない部屋に移動してください!」と言われたが、
ぼくは「この芽室町の上空も通ったのかなぁ…」という好奇心に勝てず、
木造モルタルの築30年超の我が家の、
あろうことかうちで一番大きな掃き出し窓から空を見上げてしまった。
ああ完全に平和ボケであります。
“何か”落ちてきたら危ないじゃないか!って怒られるね。
でも、視界には暗い曇天が広がるばかりで、
ぼくが“期待”するものは何も見ることができなかった。
まあ、そりゃそうだ。
そもそも“それ”は、雲よりもはるか上、人工衛星よりも高く、
数百キロ上空の宇宙空間を飛んでいるのだ。
ちょっと目を凝らしたところで、老眼が進みつつあるこの目で見えるわけがない。
その時、ふと思い出した。
ぼくが生まれ育った神奈川県大和市では、
米軍厚木基地で訓練中のジェット戦闘機が、昼夜を問わず、
酷い時には数十秒に1回ずつ繰り返し繰り返し何度も何度も何度も、
ジェット燃料を惜しげも無くぶひぃぶひぃと燃焼させては耳をつんざく轟音を撒き散らし、
それこそ我が物顔で飛び回っていて、
それをぼくらはいつも恨めしい顔で見上げていたなぁ…ということを。
ときにそれは、パイロットの姿さえ目視で確認できるほどの低空だったのだけれど、
ぼくらはそれを、建物の中にさえ入らず、窓ごしにでさえなく、
石を投げれば当たりそうな戦闘機の「腹」の直下から、
休み時間に級友たちとドッヂボールをしながら見上げていたのだった。
本当はあのときこそぼくらは
「頑丈な建物、できれば窓のない部屋に移動」するべきだったのではないだろうか、と、いまふと思った。
何か落ちてこないで、ぼくらは本当にラッキーだった。
いや、もしかしたら、
あの時は“何も落ちてこないことになっていた”のかもしれない--。
たぶんきっと、あれについては「恐れたり不安に思う必要など一切ない」ことになっており、
また、あれに対して「恐れたり憤ったりしてはいけない」ことに、暗黙のうちに決められていたのだ。
ぼくはずいぶん平和な幼少期をすごしたものである。