不定期日記

徳、善、悪

前回のブログに自分で書いた「意味」という言葉のことが気になって、
いろいろ本を読んでいたら、(「意味」のことはまたさておき…)次のような言葉が。
おおツァラさん、なんかちょっといいぞ、いいぞ。
いまそれかも。内も外も、いろいろと。
ツァラさん、ぜひ降臨頼む。

“ こうして、ほとんどすべての人間が、徳に関して一役買っていると信じている。すくなくとも、誰でもが「善」と「悪」については、よくわきまえている者だと主張している。
 これらすべての嘘つきや道化たちのところへツァラトゥストラが来たのは、なにも「あなたがたが徳について何を知っているだろう! 何を知ることができよう!」などと言いに来たのではなかった。——
 そうではなく、ツァラトゥストラは、わが友よ、あなたがたがこれらの道化や嘘つきたちに教えられた古いことばに飽きるように、——
 「報酬」「報復」「罰」「正義による復習」などといった言葉に飽きるように、——
 「私心のない行為が善である」などと言うのに飽きるように、と願って、来たのだ。 ”
       引用元
       「ツァラトゥストラはこう言った〈上〉」
        ニーチェ著・氷上英廣訳 岩波文庫 p160