不定期日記

雑記

最近の日々で感じたことを思いつくまま雑記。長い。ものすごく長い。
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ある教育関係者が、図書関係者との意見交流の場で、次のようなことを言っていた。
「最近、本当に、若い教師たちが本を読まない。本を読めなくなっている。本を読む能力が備わっていない。これは大問題である。書店や出版社など本に関わる人たちは、若い人たちの本を読む能力を育てることから始めるべきかもしれない。(ただし、学校で行われる朝読書活動の多くは、残念ながら逆に、子どもたちに「読書体験とはつまらないものだ」「読書は味気ないものであってもいいのだ」と思わせてしまう取り組みになってしまっている)」。
また、「本を読むということは、その著述に至るまでに著者が歩んできた〈歴史〉を引き受けることである」とも。
リテラシーliteracyとは、なるほど、「歴史」を引き受けることであるのかぁ。単なる小手先の「情報の荒海をじょうずに泳ぐための処世能力」などではないのだ。そこを勘違いしてはいけないのだな。
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泣きたがる人がいるから、泣かせたがるのか。それとも、泣かせたがる人がまず居て、それにまんまと泣かされているだけなのか。それとも「まんまと泣かされている」という構造の中に配置されることが心地良いから、自覚的にその構造自体を引き受けているのか。泣けば・泣ければ・泣かせることができればいいってもんじゃないと思うのだけど。本も、映画も、話芸も、対話も、論述も。
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友人と、大阪・道頓堀をそぞろ歩きで楽しんだ。ミナミきっての歓楽街。粉物の焼ける匂い、香ばしいソースの香り。大量の観光客が往来する筋を挟み、右に左に飲食店がひしめき合っている。ウマいもの激戦区。
あるタコ焼き屋の前に行列ができていた。「人気」店なのか。その向かいには、行列のできていない別のタコ焼き屋。その「ない」方の店のあんちゃんが、店先に立ち、特段懸命に声を張るでもなく、かといってやる気なさげに呟くのでもなく、往来する人々に向かって軽やかにこう呼びかけていた。
「行列の出来る店と、行列をつくる店とは、ちゃいますよ。いらっしゃーい」
もうかりまっか? ぼちぼちでんな。
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春の日曜、京都駅前。ものすごい数の人・人・人。その多くは「旅の人」である。それも、日本語話者ではない人たちがに大変に多いように見受けられる。インバウンド倍増!とか、クールジャパン万歳!って喜べばいいのかな、こういう状況。
しかし……それにしても歩きづらいな……。
自撮り棒を振り回して本当に楽しそうに自撮している金髪・茶髪のお姉さんお兄さんたち(喋っているのは韓国語か?)。でっかいキャリーバッグを1人につき2つも転がしていく家族連れ(喋っているのは中国語か?)。ひしめき合う人。飛び交う声。混雑を通り越し「混乱」にすら感じられる。
ぼくは下鴨神社近くへ用があったので、市バス205線に乗り込む。バスターミナルの長蛇の列からして、この河原町通を北上する路線は、どうやらゲキ混み路線のようだ。
ステップを登って車内に入ろうとすると、すでに車内の通路には派手な色の巨大なキャリーバッグが5〜6個、文字通り所狭しと置かれていた。その持ち主らしき人たちは、どうやら若い夫婦とその母親の3人組で、会話の様子から、中国語圏からの観光客だと思われた。
いかんせん彼らの荷物が巨大なので、その後、停車場ごとに、その他の乗客の乗り降りが少なからず滞る。見るからに日常の用事で乗り合わせたであろう地元のおばあさんが、目的地で下車するのに難儀していたりする。その度に、バス運転手の「通路を開けてください、人を通してください」という車内アナウンスが(日本語で)響く。
また、その中国語話者家族のうちの若い女性が、自らが下車する停車場を間違えないように確認しようと、走行中でも車内を移動したり、時には運転手に話しかけたりするので、その際にもやはり運転手による「移動は停車中にお願いします。危ないですよ。手すりにつかまっていてください」というアナウンスが(日本語で)響くことになる。
その声の調子は明らかに苛立ちを帯びていた。またそれを聞く他の乗客の目線や表情にも、そこはかとない不快の念のようなものが感じられた。
運転手さんも大変だなぁ、と素直に思った。バス車内どころか、河原町通だって観光目当ての車がひしめき合って大渋滞しているのだ(高島屋の駐車場に通じる左車線など、まともに車が動く気配がない)。仕事とはいえ、またこうなることがはなからわかっているとはいえ、車の外も内もいろいろ「滞る」。避けようもなくイライラはつのるに違いない。京都市バス運転手、本当にご苦労さまだ。
いや、京都に限らず北海道だって、観光客、特に外国からの来訪者はいまも増加の一途をたどっている。そしてそれに伴い、特に中国語圏観光客の立ち居振る舞いについて「あの人たちには困ったものだ」というネガティブな言説を耳にすることが多くなった。
昨冬などは、大雪で3日間新千歳空港に滞留を余儀なくされた中国系観光客が「暴動」を起こしたなどとメディアが報じたりもした。その論調もやはり、おおむね、彼らの振る舞いをネガティブな側面から取り上げたものだったように感じられた。(なお、その「暴動」と言われる騒動が実際のところどんなものだったのかについては、事態の多面性や事実関係を丁寧に掘り下げたブログ記事などもあるので、興味ある方はぜひ調べられたし)
今回、観桜シーズンに突入した京都を訪れたことで、ぼくは、アジア圏からの外国人観光客がこれほどまでに大挙して日本に訪れているという現実を目の当たりにし、その様に驚かされた。
そして、その混雑・混乱ぶりを肌身に感じ、「ああ、たしかにこの状況は、地元の人にとってはイライラの種だろうなぁ…」と納得した。
異質なものによって自分たちが慣れ親しんだ日常が乱され、それを律している不文律や慣習が侵され、実際の行動もそれにより制限を受ける。これは、誰に取ってもおもしろくない。「不快」。イライラするのも当たり前だ。たとえその状況が地域や国の「金銭経済」に一役買ってるのだと分かってはいても。
かくいう僕も、正直に言えば、あの日の市バス205線内で、幾たびかその3人家族の行動ゆえにイラッとした。
しかし、なぜかあの日ぼくには、確かにイラっとはしたものの、そのイラッとした経験自体が、あれ?これってじつは大事な経験なのかも…と感じられ、心ひそかに「これはいい経験をした…」と、バスの一席に腰掛けながらニンマリしていたのだった。
確かにその中国語話者家族の車内での行動や彼らが車内に持ち込んだ状況は、ぼくを含め(きっと運転手も含め)車内にいた「日本の公共習慣やバス利用のあり方に慣れ親しんだ人間たち」をイラつかせるに十分なものであったろうとは思う。
「なんで公共バスにこんなバカでかい荷物をいくつも持ち込むのか。なぜタクシーを使わない。」
「バスに乗るからには他の乗客に迷惑をかけるな。邪魔になるな。遅延の元になるような行動はするな。」
でも、彼らの立ち居振る舞いを仔細に眺めているうちに、見えてくるもの、わかってくることがあった。
停車場ごとの彼らの身の処し方を仔細に見ると、彼らは彼らにできうる範囲でその占有面積ができるだけ小さくなるように配慮をしていることがわかった。しかし、そもそもその通路以外に彼らが荷物を置くことを許されたスペースが物理的に存在しないのだから、そうした配慮以上に通路を広く開けることは、いくら「もっと通路を開けろ」とアナウンスを受けようとも、彼らにとってはほぼ不可能な状況だった。
また、若い女性が行き先確認のために車内を立ち歩いたり運転手に話しかけたりするのだって、車内の中国語案内環境が不十分な中にあって自分の連れ(家族)を極力安心させておくための「心遣い」ゆえなのだろうことが、彼らの会話の様子からは感じられた。
さらには、彼らが河原町四条あたりで下車するとき、若い男性がいち早くバスを降り、連れの女性たちの荷物を両手でさっさっと速やかに運び出す様子からは、自らの連れへの配慮だけではなく、混雑しているバス運行への配慮さえも十分に感じ取ることができた。
そして最後に、若い女性がバスを降りようとパスカードを料金箱に通す際、彼女は少し不安げに〈これでいいのですか?ここに差込めばいいのですか?〉と運転手に確認するような表情をした。
その表情には、世間の一部でやたらと喧伝されている「粗野粗雑で自分勝手な迷惑中国人観光客」像とは無縁の、大げさに言うならば、一人間としての生真面目さや誠実ささえもが垣間見えた。
運転手に向けて「Thanks a lot.」と小さく声をかけながらステップを降りてゆく彼女を見送りながら、ぼくは、それまでの些細な苛立ちを忘れ、なんだか爽やかな気分にすらなっていた。
これは、ぼくが乗り合わせたこの家族が、たまたま品の良い、粗野でない、中国語圏観光客としては「特殊」な人たちだったということなのだろうか。もしかしたら「小寺さん、それはきっと彼らが台湾人だったのであって、中国人ではなかったからだよ」という人もいるかもしれない。
そうかもしれない。……というか、そんなこと、ぼくにはよく分からない。
しかし、「そうかもしれない」ことを込みにしたって、やはりぼくには、これは一つの小さな「発見的体験」だった。
その小さな発見がなんであったかを端的に言うなら、「結局、俺たち、どこまでいってもニンゲンよ」という、至極当たり前のことだ。205バスで、ぼくはそれを、小さく学んだ。
なんとおめでたい男かと嗤われるかもしれない。けれど、ぼくは、あのバスに乗り合わせてああよかったなと、いま、小さく思っている。イラっとして、それゆえに、いい学びを得た。人は、やっぱり人なのである、という「あたりまえ」を、市バスというごく小さな現場で小さく発見したのだった。
文化の違い、モラルの違い、行動様式の違い。その出会いから生じる軋轢や葛藤。「不快」の感情。
いや、文化やモラルや行動様式に限らず、異種のものや状況が向かい合わせにさせられることによる「違和(感)」。
じつはそれこそが、あらゆる学びの種ではないかなぁ、と思う。極言すれば、それこそが、ものごとの醸成や発展や深化のための根源的な「動機」である。(恥ずかしげもなく言うならば、それこそ芸術の動機であり、帰結である)
ああ、そういえば、自分が結婚をした時にも、子どもを授かった時も、同じことを思ったなぁ。「避けられぬものとしての不快と違和感って、じつは、大変に大事なものなのだなぁ」と。
不快と違和にぐちゃぐちゃにまみれながら、それでも生きていくのが生命であり、そうして生きることを何億年もかけてわざわざ選びとってきたのもまた生命なのだ。そういえば。
クールジャパン万歳!このままオリンピック景気へ突入だ(突入できなきゃ困る)!……という世相動向には、正直、アホか止めとけ、その前に原発と東西の被災地の民のことを本気でなんとかせい、と心底思うけど、今回京都で、インバウンドなんちゃら政策の途中経過のようなものを目の当たりにしてみると、ああ、こうして異文化に触れ合う場面が増えること自体は、一面、とてもいいことかもしれないなぁ、と思った。
島国の私たちには、今の時勢に応じて、真剣に学ばなくてはならないことがまだまだたくさんある。そもそも、71年前に痛切に学んでおかなくてはならなかったことを、ずっとだらだらと宿題のままにしてしまっている。その宿題をやり終えた気になっている(そんな気になりたがっている)人たちも、いる。
たとえ市バスの中だろうが、真に学ばれるべきことは、じつはそこここに潜んでいるのだなぁ、と思った。小さいことだけど。きっと、仮にそれがパン屋での出来事だろうが、アスレチックジムでの出来事だろうが、いいのだ。起こる事象を自分の感覚器で丁寧に感受し、そこに潜むものを読み解いていけばいいのだ。
罵り合わない程度に、殺し合いにならない程度に、もっと、生でイラっとしてみよう。きっとそこには何かあるぜ。うまくいけば、アート(詩)が生まれるかもしれないぜ。山路を登りながらじゃないけど、そう思ったぜ。
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そうか。
リテラシーliteracyとは、なるほど、「歴史」を引き受けることであるのかぁ。単なる小手先の「情報の荒海をじょうずに泳ぐための処世能力」などではないのだ。そこを勘違いしてはいけないのだな。