不定期日記

テロ、引け目、軽自動車。

NHKスペシャル「不寛容社会」のことを投稿に書いた翌朝、米フロリダでの襲撃事件のニュースを見る。ISによるテロらしいとの報。
結局、実際に、そういう世の中なのだ。「分かり合えない」ということが、人をズタズタに切りつけるほどに先鋭化してしまった世界なのだ。これは、諦念ではなく、現実認識として。
どうすればいいのだろう…と思う。
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ところで、番組「不寛容社会」の中で、ジャーナリストであり映画監督の森達也氏が言っていた言葉(表現)が印象に残った。
「人はもっと自分自身に“引け目”を感じたほうがいい」
自分を極端に正義視しがちな現代の人間態度の有り様に対して、森氏は「引け目」という表現で、そうした態度を自制することの必要性を提起していた。
「謙虚」ではなく「引け目」なのだ。「他者に対して謙虚であれ」ではなく、「他者との関係の中で自分に引け目を感じろ」なのだ。なんと“踏み込んだ”表現か。とても印象に残った。
きっと、番組内トークの前後文脈やテーマの重要度などが重複作用して、森氏にこうした言葉遣いをさせたということもあるとは思う。
しかし、森氏がここで「謙虚さが大事」というような、慣用的かつ耳触りの良い、またともすれば「人間の美徳」といった概念に安易に通ずるような表現をつかうのではなく、より具体的かつ実践的な、否定的色合いの強い、いうなれば人の心を強制的に停滞させるような“強い表現”を選んだことの中に、森氏が彼の感覚で捉えている世相の現状の深刻さを垣間見たような気がした。
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三菱自動車の燃費偽装不正の余波で、スズキ自動車の「不正」も明らかになって、叩かれている。
じつは、僕が乗っているのはスズキの軽自動車。スズキが提出した「不正」の対象車リストの中に、僕の愛車もばっちり載っている。
でも、あのニュースを僕はニヤニヤしながら見ている(不正を反省し、いま苦い汗をかいているスズキ関係者の皆さんには申し訳ないけれど…)。
なぜって、これは非常に個人的な理由かもしれないけれど、僕の車、スズキが「不正」な手順で算出したとされるカタログ燃費より、リッター2〜3kmほど実燃費が「良い」のだ。
じつは、僕と同様に「実燃費の方が良いのだが…」というスズキ車ユーザーは、他にも結構いるようだ。一部では「スズキの燃費偽装は、消費者思いの“逆偽装”だ」との声すらあるらしい。
僕の車の実燃費がカタログ値より良い理由がその“逆偽装”のためかどうかは定かではないけれど、極めて自分本位に言わせて貰えば、我が愛車、絶好調で、大満足。
確かに、意図的に消費者を騙し、自分の儲けを増やそうなどというセコいやり方は、人間社会の倫理にもとる。そこはやっぱり、心とやり方を改めてもらわなきゃ、消費者は困る。
スズキの「不正」スタンスが「消費者を騙して稼いでやる」というものだったかどうかは、それなりにしっかりと検証をしたほうがいい。
でもまあ、実燃費なんて、運転の仕方や季節に応じてコロコロ変わる。あまりにセコい不正にはちゃんと怒った方がいいとはおもうけど、数字の多い少ないにあまりにジクジクと拘泥するのは、なんだかバカバカしいよなぁ、ともおもう。
正義か不正義か、シロかクロかをはっきりさせなくてはならない事柄も、ある。そして逆に、“はっきりしない”ということを丸のままドンと受け止めた方が幸せな事柄も、ある。じつは、この世界は、「生きる世界」としては、後者で満ち満ちているのだと思う。
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ちなみに、軽自動車は、いい。このことは、以前にもブログに書いたかもしれないけど、改めて書く。
僕の愛車はノンターボのワンボックスタイプ。まず、普通車に比べ、圧倒的にパワーがない。よって、加速が悪い。空力性能も悪いから、スピードがでない。猛スピードでかっとばそうにも、薄っぺらくて強度に劣るボディー構造では、何かあった時のことを考えたら、無理にアクセルを踏むなど怖くてできない。箱型だから、強い横風に煽られたら、もうフラフラ。僕の車は「力がない」「遅い」「弱い」「バランスが悪い」。
自分では結構頑張って速い速度で巡行運転しているつもりでも、気がつくと、いつも僕の後ろには車列が伸びている。高速道路や、郊外の流れのよい一般道では、それら後続車にばんばん抜かれまくる。観光バスにさえ抜かれる。ちょっと乱暴な追い越し方をされても「コンチクショー、待ちやがれ!」とバトルを仕掛けるなんて、望むべくもない。
狭い一般道だと、愛車を左に寄せて後続に追い越させてあげるなどということもできないから、イライラしているであろう後続車に対して心の中で「申し訳ない…ごめんなさいね…」と詫びながら、自分にできる精一杯の運転を心がけるしかない。
そんな軽自動車ライフが、誤解を恐れずに言えば、僕には、とてもいい。
というか、僕にとって、些細ではあるけれど「大事な経験」だといってもいい。
「力がない」「遅い」「弱い」「バランスが悪い」、そして「強くてバランスに優れた相手に抗うことも叶わない」。そんな立場に置かれている我が身を、実感として知る。そして、それは構造的なものであって、自分がいかに努力をしようとも(ノンターボ軽ワンボックスカーに乗るという選択をしている限りは)そうした「弱さ」を克服しようがないことを知る。またそのことでもしかしたら他者に迷惑をかけているかもしれないことを知る。
そういう、各種の「知る」経験が、僕には貴重な経験だよなぁと思えるのだ。
弱いとは、力がないとは、どういうことか。もし自分に強さや速さや力が有り余っているとしたら、当たり前のことだけど、そうした「弱い側」を知ることはきっと難しいのだろうな、と思う。
そして、その「弱さ」への自覚は、翻って、そんな非力な軽自動車でさえも、ひとたび自転車や車椅子やベビーカーや三輪車や歩行者、またはヒト以外の動植物の側から見れば、圧倒的かつ驚異的な「強者」なのであるという事実にも、なんとなく気づかせてくれる。
そして最後には、「いったい、道は誰のものなのだろう?」という気持ちになる。
たかが自動車ライフ。されど自動車ライフ。たとえば「道」ということばを「世界」ということばに置き換えて物事を俯瞰すれば、また違った景色が見えてくるような気もする。だから、非力な軽自動車に乗るのは、なかなかいい。燃費もいいし(笑)。