【リンクは式典の中継放送の動画です。玉城知事「平和宣言」の少し手前のところから始まります】
追悼とは、なんでしょう。
慰霊とは、どうすることなのでしょう。
平和とは、なんでしょう。
幸せとは、どうしていくことなのでしょう。
誓うとは、寄り添うとは、引き受けるとは、
いったいどうすることなのでしょう。
6月23日、毎年いろいろ考えさせられます。それはすなわち、どこまでも考え続けなくてはならないということなのだ、と思います。
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追悼式典。
玉城知事が「平和宣言」の結びのフレーズを標準語・ウチナーグチ(沖縄方言)・英語(米語)と3つのことばで話し、語ったということが印象に残りました。
しかし、それ以上にぼくにとって印象的だったことが。
小学生・山内玲奈さんが「平和の詩」の中で
“お金持ちになることや
有名になることが
幸せではない”
と朗読した直後、来賓として登壇した安倍首相。
自分のメッセージ本論の締めくくりに彼が盛り込んだのは、インバウンド増加を例にとりながらの「地域振興推進に向けた“わたくし”のリーダーシップ」の決意表明でした。
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ぼくは、’95年に沖縄に行きました。そのときに訪ねたチビチリガマ。
wikipedia↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄戦における集団自決#チビチリガマの集団自決
特別にガマの中へ案内してくれた知花昌一さんから「足元の土を触ってみてください」と促され、一つまみ土を手に取ってみました。
それは、粘土のように弾力を持ち、不思議なほどねとねとしていました。
知花さん曰く、それは、「自決」させたれた人たちの血液や体脂がいまも浸み込んでいるから、とのことでした。
しめっぽい暗がりの中、ぼくの靴裏の真下に静かに“横たう”土の一つまみがぼくに与えたあの生々しい感触。いまも忘れられません。深く浸み込んだものは、簡単には消えないということです。
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もしイランへアメリカの攻撃が始まるならば、その部隊はどこから中東へ出立するのでしょう。
いずれは、“思いやり深い忠実なともだち”も連れ立って出発してゆくことになるのでしょうか。どうでしょうか。具体的には、それは「どこのだれ」なのでしょうか。彼は、彼女は、イランへ何をしにいくことになるのでしょう。