不定期日記

「Voiceについて」内田樹

昼です。昼休みにまた内田樹さんの文章です。10分ほどで、どうぞ。なんだったら昼飯を食べながらでも。

Voice について

2019 年の5月に国語科の教員たちを対象に「国語について」の講演を行った。いつもの話なのだけれど、「ボイス」に関してわりとまとまった話をしたので、その部分だけを抜き出して再録する。  査定をしないで、能力を開花させるためには、何をなすべきか。ここからようやく国語教育の話になります。  子供たちが開花させることになる国語の能力とは何か。僕はそれを「自分のボイス (voice) …

ぼくはこれを、自分自身のこととしても、ぼくと娘や妻の関係のこととしても、自省・自戒しつつ、興味深く読みました。また、娘がいま胸に重たく抱え込んでいる「学校との関係」のこととしても。

”「自分のボイス」を見つけた人がその「ボイス」で語られた言葉は、できあいのストックフレーズや、何度も話して手垢のついた定型句とは全然手ざわりが違うからです。それはオールド・バイオリンの音色ように、身体に浸み込んでくる。”(リンク先文章より抜粋)

「自分のボイス」。小説なら「文体」か。

では、写真のことで言うならば、ボイスって、何にあたるだろう。「フレーミング」かな。絵画なら「タッチ」? ダンスなら…よくわからないけど…「タイム」とか?

・・・・・・・・・

……いや、結局、写真にしろ絵画にしろダンスにしろ、それはつまるところ「わたしのVoice」なんだ。