昼です。昼休みにまた内田樹さんの文章です。10分ほどで、どうぞ。なんだったら昼飯を食べながらでも。
ぼくはこれを、自分自身のこととしても、ぼくと娘や妻の関係のこととしても、自省・自戒しつつ、興味深く読みました。また、娘がいま胸に重たく抱え込んでいる「学校との関係」のこととしても。
”「自分のボイス」を見つけた人がその「ボイス」で語られた言葉は、できあいのストックフレーズや、何度も話して手垢のついた定型句とは全然手ざわりが違うからです。それはオールド・バイオリンの音色ように、身体に浸み込んでくる。”(リンク先文章より抜粋)
「自分のボイス」。小説なら「文体」か。
では、写真のことで言うならば、ボイスって、何にあたるだろう。「フレーミング」かな。絵画なら「タッチ」? ダンスなら…よくわからないけど…「タイム」とか?
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……いや、結局、写真にしろ絵画にしろダンスにしろ、それはつまるところ「わたしのVoice」なんだ。