今朝の北海道新聞書評欄。目を引いた書評は「美の進化」リチャード・O・プラム著・黒沢令子訳/白楊社。山本恵子評。
(添付写真中の記事は©北海道新聞、©山本恵子。モザイク加工は小寺。内容を読みたい方はぜひ北海道新聞をご購読ください!https://www.hokkaido-np.co.jp/koudoku/)
本書によれば、「種の起源」で「自然選択による進化」説を唱えたダーウィンは、後の書物で新たに「性選択」による「美に基づく進化」を唱えたそうです。
で、続く山本氏による紹介が興味深い。記事より抜粋引用。
“ところが性選択の考え方を採用すると、「動物に、人間のように美を認識できる主観があると言えるのか?」「なぜ美という実用性に乏しいものが生物に備わったのか?」など、多くの疑問が噴出する。著者は鳥類の研究から、進化における美の役割について考え、ダーウィンの議論に賛成し、その様々な疑問に答えていく。”
「なぜ美という実用性に乏しいものが生物に備わったのか」
Yes! オレも、それ知りたい!
山本氏による本書の評は次のように続く。
“最後には、美を人間中心に捉えるのをやめて、人間を他の動物の枠組みの中に据えるポストヒューマン的美学を提案するなど、進化生物学の枠組みを越境して、美学の根本問題にまで議論を拡張していく。”
(お。ここにおいても「越境」=〈境〉というタームがぼくに引っかかった……ふむふむ……。「人間中心をやめて/ポストヒューマン」もいまのぼくにはどんぴしゃり。まあ、それはとりあえず置いておこう。)
わーい読んでみたいなぁこの本。で、お値段はというと、3,740円也。
うー、安くない…。購入するのは、われらフリーランス自営業者を隈なく襲うこの過酷な状況が少しは収まってからかなぁ……。決して笑ってる場合じゃないこの状況に酷さは、しかしもう笑うしかなーい。😅
でも、こういう状況だからこそ「出版という文化」を下支えし、それとともに生きづつけるために、「身銭を切って買う」という選択をすべきなのか。悩むね。
悩める者をさらに悩める者が支え、貧乏人をさらなる貧乏人が支える。怒りながら、泣きながら。
もしかしてこういう“耐え難きを耐える”ようなのをニッポン的美徳の表れ、つまりこれぞ「美しい国」っていうのですかい、総理?
おっと、話がセコイほうへ逸れちゃったぜ。やめやめ。
このオレらの美しい世界では、今日も変わらず、思考が美しく著され、それが美しく批評され、それらに心動かされて誰かの心や暮らしが美しく変容する。そこに実用性があろうがなかろうが、〈美〉は、我らの身体と暮らしにすでに備わっている。
今日もニンゲンは生きている。今日も変わらず、38億+α歳の生き物としてよく生きよう。
いま中2の娘がスピッツを聴きながら鼻歌まじりで皿洗いをしてくれている。なんて美しい日曜の朝だろう、こんにゃろめ。