今日の昼ごろ、FacebookページとInstagramに白黒写真を投稿しました。それは、商品発送のため郵便局へ行く道すがら(クリアファイルお買い上げの皆さん本当にありがとうございます!)S歯科医院の角を曲がったところで足元に小さな苔の群落を見つけ、その繊細な世界の美しさに思わずカメラ(iPhoneですが😅)を向けて撮影したものでした。
家に戻ってからそれを白黒写真に加工してみしたら、おお!まるで銀河。いやそれどころか、無数の銀河の大集合のように見えました。で、写真のキャプションを「Galaxies below my feet.(ぼくの足の下の銀河たち)」としてアップしたというわけです。
いま自分でその白黒写真を見ながら、ひとつ思うことがあります。端的に書きます。
「もしもただ強く明るく輝やくWhiteだけしかそこに無いなら、ぼくはそこに何ものをも見出すことが叶わない。」
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銀河のこと。
われわれの宇宙は、光を発する銀河が多数集まった「銀河団」と、光を発する天体がほとんどない空洞とが複雑に入り組んだ「泡」のような構造になっているのだとか。その構造を「宇宙の大規模構造」と呼ぶそうです。
しかし、その大規模構造は一つの未解決の謎を秘めているといいます。いま現在解っている我々の宇宙の存在様式から考えると、その大規模構造がいまの状態にあるためには、観測することが可能な宇宙内物質の総質量だけではどうも計算が合わない。つまり、宇宙の中にはまだわれわれが観測できていない「何らかの物質」が存在しているはずだ、というのです。それは「暗黒物質=ダークマター=Dark Matter」と呼ばれています。
また「宇宙は加速的に膨張し続けている」といわれていますが、それを成り立たせるにもやはり、宇宙の拡張に関与しているはずの未知エネルギー、すなわち「ダークエネルギー」を仮定する必要があるのだそうです。
夜の空を仰いで、ついついぼくは、白い星々ばかりを見て「宇宙」を感じてしまうのですが、しかし実際には、ぼくらが見る宇宙、ぼくらが生きるこの世界というものは、ただ単に明るく輝やく白い存在だけではそもそも“在り得ない”、“成り立ち得ない”ということなのですね。
目に見える存在。見えない存在。そして「存在するということ」それ自体。
S歯科の角で自分が撮った白黒写真を見ながら、今日はそんなことについて考えました。
ただじつをいえば、これまで森を撮影してきた中で、ぼくにはすでにこうしたことは体感的に感じられていたことでもあります。