長い日記。
ウェブの「ナショジオ」に次のような記事が掲載されていて、興味深く読みました。夢の話。
「新型コロナで奇妙な夢や悪夢を見る人が増加、理由と対処法は」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/041700243/
(記事のアイキャッチ画像がおどろおどろしくてイヤなのですけど……。画像だけ別のものに差し替えられないかなぁ。)
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ぼくは随分以前からたびたび「同じ夢」をみます。コロナともこの記事の論旨とも直接の関係ないですが、今日はそのことを書きましょう。
その「夢」は、厳密にいえば、睡眠時に限ったものではありません。森で撮影をしているときでも、家で雑用をしているときでも、意識が緩んでぼんやりとしたときにふいに脳裏に浮かんでくる一連のイメージです。Dreamと呼ぶよりもVisionといったほうが正確かもしれません。
ぼくが昼夜を問わずたびたび観るビジョン。それは「チェンジアップ」と「バント」です。
なんじゃそれは!? という御仁も少なく無いかと……😅
どちらも野球に関わることですね。「チェンジアップ」はピッチャーが球を投げる際の投球法もしくは球種のこと。「カーブ」とか「フォークボール」とかの類です。一方の「バント」は、バッターが球を打ち返す際の打撃法のこと。
Wikipediaにはそれぞれこうあります。
【チェンジアップ】
“チェンジアップはボールを鷲掴みにするなど敢えてボールに力が伝わらないように握りを工夫することによって速球と同じ腕の振りから投じられる遅いボールである。”
【バント】
“球の勢いを殺したゴロをできるだけ守備側の投手や内野手から離れた場所に転がし、打球処理の時間を稼ぐことによって進塁・出塁を目指すものである。”
ふむ。
ぼくが観るのは具体的には次のようなビジョンです。
まずはチェンジアップ。
ビジョン中の状況から説明しましょう。その場所が屋外なのか屋内なのか、野球の試合中なのか練習中なのか、はたまた、打者と対峙しているのか、それともただだれかとキャッチボールをしているだけなのか、その辺のことは全く分かりません。
明らかに「そこにいる」とわかるのは、〈ぼく〉と思しき人物ひとりだけです。
〈ぼく〉は真っ白い野球ボールを握っています。普通の投球の握り方ではなく、ちょっと変わった握りです。親指全体の腹と人差し指全体の腹ではさんだだけの、「握る」というよりは「つまむ」といったほうがよいような保持の仕方。それぞれの指が掛かっているのは、ボールの縫い目ではなくすべすべつるつるとした皮の部分です。
〈ぼく〉はおもむろに腕を振りかぶります。で、オーバースローで腕を振ります。決して力を込めているわけではありませんが、すっと素早い腕の振りです。
腕の振りの速さがピークに達したところで〈ぼく〉はボールをリリースするのですが、当のボールはといえば、その腕の振りの速さとは全く対照的に、じつに静かに指先離れます。
というより、指と指のあいだからするりとすっぽ抜ける感じ。
で、サッと高速で振り抜けてゆく腕から“置いていかれる”ようにして中空に放たれたボールは、そこからじつにゆるいスピードの等速度運動で、一切回転もせず、何らのトリッキーな変化も見せず、大きな弧を描くことすらなく前方へと進んでゆきます。
それはまるでシャボン玉がそよ風に流されていくよう。
で、ビジョンはそこまで。なぜだか、毎回決まって、そこでおしまい。
そのボールがキャッチャーのミットに収まるとか、誰かに打ち返されるとか、逆に誰かを空振り三振に仕留めるとか、そのさきがどうなったのかについて、ぼくは一度も「観た」ことがありません。
次に、バント。
〈ぼく〉と思しき人物は、木製バットを手に、打席と思しき場所にひとり立っています。たぶんピッチャーマウンドの方からでしょう、〈ぼく〉ではない誰かが投げ込んできたであろう白いボールが〈ぼく〉をめがけて飛んできます。
チェンジアップではありません。まっとうな速球です。
そのボールに対して〈ぼく〉はバットを振り出します。ただしそれは、ボールを打撃する(ひっぱたく)ためではありません。
〈ぼく〉は、ボールの進路上にバットをすっと差し伸べると、そこでバットをピタッと定め、ボールがやってくるのを待ちます。で、ボールとバットが触れあったちょうどその刹那、ボールが進んでゆこうとする方向へとバットをすっと「引き戻す」のです。
〈ぼく〉はバットの引きの速さと力加減を微妙にコントロールし、ボールの前進力をバットで受け止め、瞬間的に減衰させます。そしてなんと、ボールとバットが触れあった状態のままで、ついにはそれらを「停止」させてしまいます。
ボールは前に転がりもしなければ、跳ね上ってキャッチャーフライになることもありません。互いに触れ合ったまま、止まっています。
インパクト(?)から「停止」に至るまで、引きの距離はわずか30cmくらい、時間にしてみればコンマ何秒かでしょう。その瞬時にそんな芸当ができるものかと不思議でならないのですが、さらに奇妙なことには、インパクトの瞬間から停止まで、コン、という小さな音ひとつしません。
つまりそこには、一切の「衝撃」というものが無く、ただただ、〈ぼく〉の眼の前でボールとバットが「触れ合って止っている」のです。
で、ビジョンがそこで終わることもありますが、さらにこの先が続くことが多いです。
〈ぼく〉は、バットに触れたまま停止しているボールに対して、今度は逆の方向、つまり〈ぼく〉にとっての「前方」に向けて、バットを通してぐうっと力を加えてゆきます。
徐々に力を得て押し出されたボールは、あるところでバットを離れると、たぶん「内野」や「外野」と思しきフィールドへと軽やかに飛び立ってゆきます。
その時、やはり一切の音がありません。
そして、それがヒットになるのか、スタンドインしてホームランになるのか、はたまた野手のグラブに収まって「お前、アウト!」と宣告されることになるのか、その先のことについては、やはり「観る」ことはありません。
(ここまで読んで、『巨人の星』で大リーグボール1号を打ち砕いた花形満の打法を思い浮かべる方も多いかもしれません😅。確かかにあのシーンはぼくの潜在意識に刷り込まれているかも。ただ、ビジョンの中の〈ぼく〉は、一切の「鉄球痛打特訓」もしていませんし、大仰な悲壮感もベースランニング中の筋肉崩壊もありません😁。)
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チェンジアップにしろバント(バスター?)にしろ、じつに奇妙なビジョンです。野球のボールをシャボン玉のように投げるとか、速球をバット上で音も無く「受け止める」とか。
ただ、ビジョンの内容以上にぼくが不思議に思っていることがあります。
実を言うとぼく自身は野球について、競技経験どころかほとんど興味関心すら無いのです。プロ野球観戦を楽しむ習慣も昔から皆無。(日ハムファイターズの選手とかも、新庄・稲葉・中田くらいしかよくわからん…😅)
そんな人間が、なぜこうも度々おなじ「チェンジアップ」と「バント」の夢を観る?
ほんと、いったい何なんでしょうかね、夢、ビジョンって。じつにじつに不思議。
でも、そのように不思議であること、奇妙であること自体が、たぶん「夢」の役割でありまた最大の「価値」なのでしょうね。
リンクしたナショナルジオグラフィックの記事の最後にはこう書いてありました。
「物理法則を曲げるなどして背景を変えれば、視点が変わり、別の切り口を思いつくかもしれません。常識を変えれば、感情を変えたり抑えたりするのに役立つかもしれないのです」
背景を変える。視点を変える。別の切り口を思い、常識を変える。つまりはChange-up。
ああ。それが現(うつつ)の〈しあわせ〉に役立つと、いいなぁ。
よし、今夜もまた〈ぼく〉は、大仰な悲壮感無く、軽やかで静かな「バント」をしてみるかな!
いい夢がみられますように。そして、よい夢のために、どうかみなさん、よい一日を。