不定期日記

また、3月5-6日の写真絵本作りのことを。年少者のすごさも。
6日実施の海の部。波を被写体に選んだ子どもたちが多数。
まあ、海辺での撮影ですから、
波が写った写真の1枚や2枚はだれでも必ず撮ることになります。
しかし、波以外にも、たとえば美しい貝殻や、
先述(一昨日のブログ)の「打ち上げられたゴミ」のような、
いわばよりキャッチーな被写体も多数あるわけです。
そんな中で、ひたすら「波」にこだわった作者が数名いました。
ある小学1年生男子(未就学だったかな?)は、
たくさん撮った写真の中から波の写真を選りすぐり、
独自のヒラメキで、他の参加者が誰もやっていない「飛び出す絵本」を作り始めました。
「おお、やってるな…」と期待しながら見守っていると、作者の彼、
写真を絵本の中でどう飛び出させるかで様々な試行錯誤を繰り返し、
アシスタント(=お母さんとお父さんです。笑)の助力を得ながら、
なんとか工作を完成させました。
その作品が、いいんです。
簡素な仕組みながら、写真の背面に画用紙で「支え」を入れることで、
本の台紙ページからわずかに波の写真がうきあがります。
そしてその写真が、ページを開くたびにじつにいい感じで「揺れる」のです。
最初の見開きページ。
対角線上に程よい距離感で配置された2枚の「白波を浮かべた水面」の写真が、
それぞれに、ゆらゆら…ゆらゆら…と揺れ動きます。
あたかもそこに本当の波が再現されたみたい。
ああ、なんて絶妙!
僕にとっては、なんだか官能的にすら感じられます。
そうなんだよ。波は揺れるんだよ。
揺れながら近づいてくるんだよ。
揺れるから波なんだよ。
(他の年少者の作品にも、
同アングル・別ズーム比の2枚の波の写真を巧みに見開き中に配し、
そこに「ちかづく、ちかづく…」というテキストを添えたページがありました。
「ちかづく」をあえてリフレインにする、そのセンス…。ああ…。)
もしかしたら本人の当初の意図としては、
ただ単に「写真を飛び出させたい!」という思いだけで試みた工作表現だったのかもしれません。
でも、出来上がってみたら、なんとまあ素敵な絵本になったこと。やったね!
もう一例。小学校中低学年女子。
この子も、貝殻や漂流物などには一切目もくれず、
すべて波の写真だけで絵本を構成しました。
ちょっと引き気味の静かな波の写真もあれば、
ズームでぐっと寄って切り取った泡だつ白波の写真も。
見事に波だけ。ああ、この潔さ…。
そして、その絵本のタイトルが…
『波の命』。
おお…
ちょっとうろ覚えなのですが、この作品、たしか最後の見開きでは、
見開きのど真ん中に(本のノドをまたいで)ドン!と配置された一枚の白波の写真に、
テキストがひとこと、次のように記されていたように記憶しています。
「波がうごいたら、いのちかも。」
お、
おお…
聞けば、彼女、撮影の当初から「今日の絵本づくりは、“波の命”でいこう」と
早々に決めていたそう。
そういえば、撮影時間終了後、
他の参加者がまだ絵本の構成にうんうん悩んでいるころに、
彼女はもういち早く絵本の表紙の仕上げに取り掛かり、
『波の命』というタイトルを書き込んでいました。
そんな彼女の“かっこよさ”に、僕はすっかり興奮・動転してしまい、
そばにいた彼女のお母さんを捕まえて、
「いや、お母さん、生命というものはですね、
38億年前に海辺の小さな水溜りの“スープ”の中に誕生したかもしれず、
そうだとしたら、僕ら生命の内には等しく「波のリズム」が遺伝子レベルで刻み込まれているはずで…」と、
わけのわからないことを熱く語りだす始末。
(もちろん、お母さんの反応は……苦笑)
いや、ほんと、面白いし、それ以上に、参加者の表現からいろいろ教えられます。
・・・・・・・・・
波が揺れるということにしろ、海が命の根源だということにしろ、
もう当たり前のこととしてすっかり「知った気、解った気になっている」自分に対し、
無邪気に突きつけられたこれらの作品たち。
3月の海は、自然は、(そして小さな人たちは)、ことさらに、
我ら“大きな(つもりの)人”たちに「謙虚であれ」と教えてくれているようです。
3月の海を、忘れないでいようと思います。