不定期日記

消費について

良記事発見! 保健衛生と“消費”のこと。
「シャンプーは本当に必要なのか? 髪をお湯だけで洗う人が増えている」

シャンプーは本当に必要なのか? 髪をお湯だけで洗う人が増えている | ハーバービジネスオンライン

昨今、「湯シャン」をする人が増えているという。髪をお湯だけで洗う人が増えているのだ。  そういう俺も、シャンプーを使わなくなって5~6年。実感として、お湯だけに変えた当初は髪がゴワゴワしたが、その後はすぐに滑らかになって、手ぐしもスッと通るようになった。シャンプーやリンスでのサラッという感じとは違う、自然なサラ~ッという感じだ。 …


ぼくはいまシャンプーは使っているけど、いつ完全にやめようかと長らく思案しています。じつを言えば、界面活性剤(いわゆるソープ類)で身体をあわあわごしごし洗うのは、もう何年も前にやめました。

なぜなら、“生き物のわたしをわたしらしく形作ってくれている共生者・共働者”である体表常在菌を、風呂に入るごとに駆除・虐殺・殲滅するのが忍びなく、また、それは本当の意味での「保健」を考える上でどうにも理屈に合わないなぁと思い始めたから。めざせ、五木寛之&タモリ。

ついでにいえば、食後の食器洗いも、基本的に洗剤使いません。強い油汚れ以外は、合成界面活性剤(よくあるいわゆる食器洗剤)どころか石鹸も使わず、お湯か水で洗って済ませています。だって、それで十分だから。

テレビCMで高田純次やらが盛んに訴えている「指でこすってきゅっきゅっと音がする」ことの“必要”を、高田さんには悪いけど、一縷も、みじんも、全く感じないもの😅。ぼくにはわからない。なんで食器からきゅっきゅと音がしなきゃならない?♪

CMでありがちな「水面に浮いた油膜にほんの一滴この洗剤を垂らしてみると……。ほら! 油膜が一瞬のうちにサーーーッと消失!この洗浄力!」なんていう映像を見ると、ぼくは却って、「うわぁ……そんなに激烈に強力な合成化学物質を、おれや家族が食べる物を盛り付ける器になんか使いたくねーよ」と敬遠してしまいます。(なにで出来てんのかな、その“洗浄力”…)

なぜ食後に食器を洗浄するのか。その第一の、かつ本質的な目的は、食中毒を起こす悪玉細菌が繁殖することを抑えたり、すでに付着してるかもしれない食中毒起因物質など有害なものを除去するため。

それは、なにも激烈な人工化合物を用いなくても、洗い方や食器の使い回し方や保管の仕方の工夫で、はっきり言って如何様にもクリアできる。うちの場合、普段の食生活であれば、特に工夫の必要すらないなぁ。お湯で必要程度洗って、乾かす。以上。

歯磨き(口腔衛生)もそうだなぁ。歯磨き粉CMや、最近では自治体の学校保健での取り組みですら「フッ素の力で虫歯予防!」と随分とチカラを入れているけど、あれも個人的には「なんで?」と思います。

あの力の入れようを見ると、却って「なんかさぁ、われわれのあずかり知らぬところで、フッ素化合物の製造・利用を促進したいほんとうの理由が別にあるんじゃないの……?」とさえ考えちゃう。

何もつけない清潔な歯ブラシで、適当な方法で歯をこすり、唾液の抗菌作用を活かす食/生活習慣を適切に保ってれば、わざわざフッ素化合物、いらんべさ。

少なくともぼくは、フッ素化合物やら人工合成された香料物質やら研磨剤やらをむやみに自分の口の中に入れたくない。なので、歯磨き粉も使ってませーん。要らないから。

さらについでに言っちゃえばさぁ、原発ってやつも––––––

はい、だめです、この辺でもうやめておかなくては。😅

いまのぼくには生活の全てをエコロジカル&エシカルにすることはできないけど、それでも、身の回りのものごとの要不要を自分で判別して、不要なものごとを一つ一つ削ぎ落として行くと、それがどんなに些細なことであっても、いろいろ楽になる(&楽しくなる)ことがあるなぁと、細菌、まちがえた、最近よく思います。

何かの“消費”や“利活用”がことさら推奨されたり推し進められたりするとき、特にそれがたとえば「不潔」「不健全」「不十分」もしくは「不正義」などネガティブな要素にたいする不安心理とか懐疑、もしくは恐怖心をテコにしてなされようとするとき、一旦「その不潔って、本当に自分にとっても不潔なのか?」とか「その不安や恐怖って、ほんとうにホンモノか?」って自分の経験則や知識や価値観によく照らして考えることを大事にしたいものだと思います。

とかく“消費”を推奨したい側は、「ボーッとしてたら、あんたダメになるよ! すぐにヤられちまうヨ!」と強めに打ち出しがちですからね。

何をどう“消費する”か、もしくは“消費させられる”かの判断を自分で下すことができる自由のありがたさを自覚しつつ、あすも自分らしく暮らしていきたいものです。