不定期日記

「怖い」。

「正直、怖い。」

これは、つい先日、親類のある女性と子どもの教育について話をしていた際に、彼女の口から出た言葉。子育てや教育について考えるのが「怖い」のだという。

30代の彼女は、小学3年生を頭に3人の女児姉妹の母。夫や子どもたちと首都近郊で仲良く暮らしている。いつも明るく朗らかで、しっかり芯があり、前向きな女性だ。そんな彼女の口から「怖い」というネガティブな言葉がストレートに出てきたことに、ぼくは少々驚いた。

彼女と「子どもはいつごろ文字(かな、漢字)を覚えるか」という何気ない話をしている時だった。

ぼくは、自分自身の子育ての経験から

「子どもって、無理に教え込まなくても、けっこう自分で勝手にひらがなとか覚えちゃうよねー。もちろんめちゃくちゃな「鏡文字」になっていたりはするけど。
 なんか、年長さんくらいのころに、“字を書けるようになりたい!”って欲求が子どもの中に俄然湧き起ってくるのかもしれないね」

……などと話しつつ、反面、何かにつけ子どもの自発性に先んじて余計な口出し・手出し、過剰な干渉を(今でも…)してしまいがちな我が身を省みて、

「ああ、もっと子どもを信じて、ドンと大きく構えていられる大人になりたいものだよ…」

なーんてことを喋った。

彼女もそれにうんうんと頷き、ぼくの意見に同意してくれた。事実、3人の娘たちと接するときの彼女の振る舞いを見ていると、彼女自身、子どもたちが内に秘めた可能性や人間性に信頼を置き、そこから湧き出てくる良いものをそのまま認めて伸ばそうとしているだろうことが、なんとなくだけれど感じ取れる。

しかし、そんな彼女が、ちょっとためらいながら次のようなことを言う。

子育てをしていると、周囲の人たちがどういう子育てをしているかが気になる。早い段階でさまざまな早期教育を子どもに施さないといけないような雰囲気が周りにあるのを感じる。

まわりはもうやっているのに、うちはやらないでいいのか。わたしは子どもの将来をだめにするような選択をしているのではないか。そんなふうに思えて不安になることがある。正直、怖い。

–––––と。

たしかに、ぼくも同じだ。怖い。

いま北海道の片田舎の、じつにのんびりとした環境で子育てや暮らしを営んでいるぼくですら、親として子どもたちのために備えている環境や機会や情報が果たして彼女らの未来の歩みに対して十分なものなのか、それを本気で考え始めると、不安だし、怖い。

いつの頃からか社会に流通しだし、いまやすっかり固定化した「勝ち組・負け組」とい言葉が、冷たく脳裏によぎる。

「子らの人生は、彼女ら自身が自発的に切り拓いてゆくだろう。そうでなくてはならない。そのような自力のある子どもに育ったらいいな」

……などと鷹揚に構えているが、しかし、本当にそんなことでいいのだろうか。実際のところは、不安が尽きない。

田舎のぼくでさえそうなのだから、首都圏近郊に在住し、子育てに関する情報や実際のサービス、世間の最新の潮流や噂話に触れる機会が北海道の田舎に比べて桁違いに多いであろう彼女にとっては、その心境、いくばくか。ぼくは同情を禁じえなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、子どもが育つことのみならず、大人が老いてゆくこともまた、なぜこれほどまでに「不安で怖い」ことになってしまっているのだろう、この社会は。

人生の入口も怖ければ、出口も怖い。不安、不安、不安。

その「不安症」に対して公がわれわれに提示する処方箋が、たとえば、

「自分の老後にいくら必要か、お前たち、知ってるか? 考えたことあるか? とりあえず2000万円以上自分で準備しておけョ。自己責任よ。だってしょうがねェだろ、こっちも金が無ェんだから」

という、文字どおり血も涙も無いものだとしたら、その「怖さ」はなおさら助長されこそすれ、軽減などされるはずも無い。いまここに生きる人、生きてきた人を、尊厳をもって心から〈もてなそう〉という姿勢は、そこにあるやなしや。

怖さ=terror。テロル。テロ。

「ガソリンまくぞ」と脅されずとも、人々はもう十分に、見えないテロルに浸されているのかもしれない。

2011年、溜まってた爆鳴気がぶっ飛び、我々のほとんどがそれまで全く興味なかった“ドアノブの冷たさ”にビビったあの時点で、逆に、世に蔓延した見えないテロルがほんの一部でだけでも払拭できていれば、いまちょっとは良かったのかもしれない。

が、現実には、見えない・取り除けない・under controlになぞできない重水素とともに、不安は増えるばかり。五輪と万博、権威世襲のメデタイ慶事各種で、一瞬一瞬わーっと盛り上がっても、その溜まりに溜まった不安は、あと3年くらいで溢れると。どうする、我々。

そのまえに、どこかの海峡を挟んで、別の火種をボン!と爆発させて、一回振り出しに戻ったことにするかい?

いや……だめだこりゃ。またも話があちこち飛躍しすぎだ。つまらない妄想のほうが、テロル暴発に先走って溢れて出してしまった……。

何はともあれ、諦めたらそこで試合終了だ。容易に惑わされず、流されず、希望をつくるぞ。やりかたを考えろ、おれ。カネは無くとも(笑)。

さあ、まずは、地にひざまずいて、Let’s 草むしり!