「小泉進次郎衆院議員 滝川クリステルさんと結婚へ」
報道各社が速報。たしかにビッグニュースかも。芸能ゴシップとしては。
でも、これに対して、社会人の常識的振る舞いとして「何はともあれおめでとう!」と条件反射的に寿いでしまう前に、ちょっと立ち止まって、世の常識や常套、習慣や因習について今一度じっくり考えてみるってのも、この際、いいかもしれません。「夏休みこども電話相談室」よろしく。
《結婚(婚姻)って、本当にめでたいことなのかな》
《結婚は、誰にとってめでたいことなのかな》
あと、今回については特に、
《ほんとうに「おめでたい」のは、誰?》
私事としましては、ぼくと妻の婚姻は、少なくともぼくにとってはとてもめでたいことだったけれど。じゃあ妻にとっては……いや、まあそれについてはいまはじっくり考えないでおきましょう。😅
小泉さん・滝川さん2人にとって、これがほんとうにめでたい結婚であることを、わたくし全くのアカの他人ですけど、ちょっとばかし祈念します。
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せっかくなので、以下に思っていることをそのまま真面目に書いておきます。出来事そのものとしてはどうでいい話題なのに、長くなってすみません。
すでに言い尽くされている感もありますが、この一件は、公共放送が報道放送の中で速報で報じるようなことではないと思います。
報道価値の判断が、あまりにも場当たり的で稚拙だと思います。こういうことをしているから「ぶっ壊す!」って言われちゃんだよ、と思う。
同じ時間を割くなら、たとえば、こういう↓ことがらや出来事をじっくりたっぷり報道することにこそ時間を割いてもらいたい。むちゃくちゃ重要じゃん。
【憲法裁判記録 8割超を廃棄 自衛隊・長沼ナイキ、「宴のあと」訴訟 検証不能に】
もしも「国会議員の動静を国民に知らせる」ということに報道価値がある、というなら、他にもっと知らされるべき「動静」がありそうです。
今回のようにいろいろな面において拙さをはらむ情報発信・受信であっても、それが幾度も繰り返されることで、発信する側も受信する側も、無意識レベルでそうした拙さに慣らされていってしまいます。
さらにいえば、そうした習慣化をもって、「世間の“常識”」や「因習」はより強く強く裏打ちされていくことにもなります。そして、常識や因習が強まれば、それにともなって、常識にまつろわぬ思考や行動に対する同調圧力も強まっていきます。
特に、今回は「知的な批判」ではなく「感情的な寿ぎ」が情報流布のベースになってますから、個人的にはさらに危うさを感じます。
芸能ゴシップと報道の境目が見えなくなる。これ、気をつけないといけないな、と思います。それを改めて感じさせる、ある意味、良い機会にはなりました。ありがとう、シンジロー&クリステル。おしあわせに。会ったこともないアカの他人より。